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タイトルコラム#1701をめぐって
記事No343
投稿日: 2007/04/26(Thu) 07:58
投稿者太田述正
http://ameblo.jp/renshi/entry-10031815521.html
からの転載です。(太田)
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以下、太田述正氏が、倫理について述べている。太田氏の着眼は優れているが、考察に関しては、いつも、批判したくなる。

「倫理的判断は感情に由来するとしてヒュームが正しかったことになります。」と述べている。

類人猿と人間を、倫理に関して、同質に見るのは、問題があるし、また、感情に由来するというのも、単純ではないだろうか。

私の考えでは、というか、プラトニック・シナジー理論に拠るならば、倫理とは、他者への志向性であるから、認識を含むものであり、なんらかの理性が必要なのである。勿論、スピノザが言うように、感情も必要である。しかし、スピノザは、能動的観念を説いていて、それは、理性的である。

だから、倫理に関しては、2項対立では、決定できないと考えられるのである。

精神的知性・理性が必要だと思う。そう、簡単に言えば、差異共振性が倫理である。
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<引用>

 (3)人類共通の倫理感
 さて、「従軍」慰安婦制はよくない、といった議論を戦わせるにあたっては、議論を行う人々が共通の倫理感を抱いていることが大前提になります。
 では、人類共通の倫理感などというものがあるのでしょうか。
 あります。
 人類に共通の倫理感覚が備わっているどころか、類人猿にすら人類と共通の倫理感覚が備わっている、というのが通説になりつつあります。
 すなわち、感情移入(empathy)、社会的ルールの習得・順守、相互性、仲直り、をよしとする感覚はサルでも持っている、というのです。
 当然のことながら、サルは、理性によってこのような感覚を身につけるに至ったわけではありません。
 蛇足ながら、このことから、倫理性は理性によって根拠づけられなければならないとしたカントは誤っており、倫理的判断は感情に由来するとしたヒュームが正しかったことになります。