[リストへもどる]
一括表示
タイトルコラム#1756(未公開)のポイント
記事No368
投稿日: 2007/05/04(Fri) 16:34
投稿者太田述正
 コラム#1756(2007.5.4)「米国とは何か(続々)(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
 ・・
 ローマ軍事史家の英国人イベジ・・博士の英BBC歴史サイトへの寄稿・・をベースに、適宜私見も加えて、共和制ローマと米国の類似性を指摘してみましょう。

 BC509年に、エトルリア人・・のローマ王タルクィニウス・・の息子が、他人の妻であるルクレティア・・に横恋慕し、彼女を強姦したことに怒ったローマ人達は、自由を求め、タルクイニウス一家を初めとするエトルリア勢力を追放し、共和制ローマを樹立するのです。
 この叛乱の過程で、ローマ人の士気を否応なく高めたのが、反撃してきたエトルリア人勢力に対し、ホラティウス・・が、ティベル川にかかる橋を自分の後ろで落とさせ、(他の2人とともに)立ち向かったことです。ホラティウスは、一対一の戦いを呼びかけつつ、「お前達は専制的な王達の奴隷だ。他人の自由を攻撃するより自分達自身の自由のことを考えろ」と呼ばわったといいます。
 ・・
 それから2,000年以上経った1773年、英領北米植民地のボストンで、母国英帝国への反逆行為として、植民地の過激分子達が、港に停泊中の英国船籍に積み込んであった商品たる紅茶を海に投げ込みました。
 やがて、過激分子達は1775年に自由を標榜して独立戦争を起こしますが、英軍の動きを馬を馳せて彼らに伝え、緒戦のレキシントン/コンコルドの戦いの勝利に貢献したリヴィア・・のエピソードは、後に伝説化します。

 細部は違いますが、この二つは自由の神話という点でまことによく似ていると思われませんか。
 共和制ローマも米国も、虐げられた弱者が圧制者の軛から解放されるべく、悪であるところの帝国に戦いを挑み、それに成功した、というのですから。

 米国の建国の父達は、独立した米国を共和制ローマになぞらえていた・・からこそ、憲法を策定するにあたって、先達であるところの共和制ローマの国制を参考にしたのです。 ・・
 共和制ローマは、市民に主権が存したとは言えても、決して民主主義的ではなく、公共の利益への市民の貢献を重視する国制でした・・。
 ・・
 このこととも関連していますが、米国の建国の父達は、権力の抑制と均衡を重視しました。
 1人の大統領を置くか、共和制ローマに倣って2人の執政官(consul)を置くか、等々侃々諤々の議論が行われた上で、三権分立制、上下両院制、大統領選挙人制、連邦制が導入されたのです・・。
 ・・
 やっかいなことに、上述のような勇壮なる自由の神話を持つ国は、帝国主義的に領土の拡張をしがちであるところ、自分達の行動を帝国主義的であるとは決して認めようとはしません。
 つまり彼らは、領土が拡張したとしても、それは、市民の自衛のための正当な行為が、結果として領土の拡張をもたらしただけだ、と主張するのです。
 ローマ共和国では、念の入ったことに、法律で、正当な理由(casus belli)がなければ開戦してはならない、と規定したほどです。
 その正当な理由とは、自分または他人の自由が侵された場合であり、その場合に限って自衛戦争を発動できる、というわけです。

(続く)

タイトルRe: コラム#1756(未公開)のポイント
記事No371
投稿日: 2007/05/04(Fri) 17:53
投稿者しまだ
>  この叛乱の過程で、ローマ人の士気を否応なく高めたのが、反撃してきたエトルリア人勢力に対し、ホラティウス・・が、ティベル川にかかる橋を自分の後ろで落とさせ、(他の2人とともに)立ち向かったことです。ホラティウスは、一対一の戦いを呼びかけつつ、「お前達は専制的な王達の奴隷だ。他人の自由を攻撃するより自分達自身の自由のことを考えろ」と呼ばわったといいます。

he...reproached them all with being the slaves of tyrant kings, and whilst unmindful of their own liberty coming to attack that of others.

リヴィウスの一節のようですが、そんなに有名でしたっけ?

タイトルRe^2: コラム#1756(未公開)のポイント
記事No372
投稿日: 2007/05/04(Fri) 20:20
投稿者太田述正
 グーグルの英語検索で、ロムルス(Romulus)が4,270,000件、ルクレティア(Lucretia)は、現在ありふれた名前なので、The Rape of Lucretiaで185,000件、それに対して、あのホラティウス(Horatius Cocles)は19,300件に過ぎませんから、ホラティウスは相対的には有名ではありません。
 しかし塩野七生は、55,700件のピュロス(Pyrrhus of Epirus)王に文庫版で20頁も割いているのですから、ホラティウスに全く言及しない、というのはバランスを失していると思います。
 そもそも、ルクレティアに割いた2頁弱というのが少なすぎる上、いずれにせよ、ルクレティアと対でホラティウスに言及くらいはすべきでした。
 塩野は、共和主義の生誕という、共和制ローマ成立の世界史的意義を真正面から見据えていない、と私は思うのです。

タイトルRe: コラム#1756(未公開)のポイント
記事No374
投稿日: 2007/05/05(Sat) 16:00
投稿者太田述正
http://ameblo.jp/renshi/entry-10032698341.html
からの転載です。(太田)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これまた、太田氏の文章への異議である。

>彼女を強姦したことに怒ったローマ人達は、自由を求め、タルクイニウス一家を初めとするエトルリア勢力を追放し

はおかしいと思わないだろうか。強姦という犯罪に対するに、「自由を求め」て行動したというのは、飛躍がある。だから、ここには、歴史上の改竄や歪曲があることを見るべきだと思う。思うに、この点において、ローマ帝国は確かに、USAに似て、攻撃の「大義」を求めていて、それが、この強姦事件だと思えるのである。