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タイトルコラム#1757(未公開)のポイント
記事No373
投稿日: 2007/05/05(Sat) 15:46
投稿者太田述正
 コラム#1757(2007.5.5)「ブレア政権の10年(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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 最後に文化政策面です。
 ブレアは文化政策を中心的政策の一つとして推進しました・・。
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 国家遺産省を文化・メディア・スポーツ省へと改称し、文化政策を過去志向から未来志向へと転換し、英国を若い国のイメージへと衣替えさせようとしたのです。
 そして、保守党政権時代に凍結されてきた文化予算の大増額に踏み切ったのです。ブレア政権下の10年間で文化予算は実質価格で85%も増えました。
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 ブレア・・は、大学時代を含め、全く目立たない青年時代を送りました。
 彼は、オックスフォード大学でも、学生自治会(Oxford Union)会長になるわけでなし、雄弁家として鳴らすでなし、成績もまあまあよくできた、という程度でした。同大学の労働党クラブにも入っていませんでした。
 1975年に労働党の党員になってからも、鳴かず飛ばずで、地方議会議員の候補者にすら指名されませんでした。
 1982年に下院補選に出て落選した時が、ブレアが初めて演説をした時だといいます。
 しかし、翌年の総選挙で、初当選してからは、労働党内でとんとん拍子の出世を遂げ、1994年には労働党首となり、1997年には首相に登り詰めます。
 これは、リヴァプール卿が1812年に作った記録に次ぐ若さでの英首相就任です。
 そして、労働党出身の首相としては、最長任期の10年を勤め上げたのです。

 このようなブレアの変身の「秘密」を解き明かした本格的な評伝は、まだ現れていません。
 現時点で分かっていることは次のとおりです。
 ブレアの考え方は、英国の首相の中では前代未聞のことですが、キリスト教の強い影響下にあります。
 ただしそれは、より正確には、キリスト教そのものと言うより、キリスト教哲学者のマクマレー・・(コラム#113、114)の考え方の影響下にあると言うべきでしょう。
 それは、コミュニティー志向の考え方であり、協働精神・友情・兄弟愛を尊ぶ考え方です。
 ここから、ブレア自身が言っているように、対立すると目されているところの、郷土愛(patriotism)と国際主義、自由主義と社会主義、市場と公共サービス、を調和(reconcile)させようとする発想が出てくる、というのです。
 またここから、先進国(civilised nations)は、国境の外の諸懸案(suffering)に取り組む権利と義務があるとするグラッドストーン的自由介入主義が導き出される、というのです。ブレア自身の言によれば、(最先進国である)英国には、他の諸国を指導(lead)する使命(destiny)がある、というわけです。
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 日本の政党、とりわけ自民党からの政権奪取をねらっている民主党にとって、ブレア主義は大いに参考になると思います。
 同党がブレア主義をよく勉強し、日本の顔をしたブレア主義の政権を樹立することを願ってやみません。

(完)