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日本属国論

838 K.K 2018/06/12(火) 10:10:51 ID:Fc0hgOTd
》ところで、『ガリア戦記』は何のヒントなんだろね。《(コラム#9878)

・カエサルは、概ね敵よりも少ない兵力で鮮やかな勝利を収める。
・ローマ/カエサルは、ガリアやゲルマンより科学技術/戦法に優れている。
・ガリアは、一応武装してはいるけれど、ゲルマンよりは弱い。

上記3点から、「カエサル=弥生人、ガリア=縄文人」ではないかと思います。

<1>罪と罰(ドストエフスキー)
「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」というのがありますよね。「ハレ(非日常)」というのは、「ケ(日常)」の基準を外れているわけですから、「悪」の一種ですよね。
人間主義者や人間主義的人間から見て、弥生人や非人間主義者は、人間主義の基準を外れているわけですから、人間主義者や人間主義的人間にとって、やはり「悪」の一種ですよね。
何らかの要因(多くの場合は貧困、小嶋容疑者の場合は自閉症)で、「ハレ」が無い場合、同じ「悪」であるが故に、「ハレ」の代替物として、人間主義者や人間主義的人間は、弥生や非人間主義に惹きつけられてしまうのではないかと思います。

<2>教行信証(親鸞)
親鸞の言う悪が何かは私には分かりませんが、世界には非人間主義を「ハレ」の代替物として取り入れてしまい、「ハレ」であれば「ケ」に戻ってくるはずであるのに、非人間主義の状態から人間主義の状態に戻れなくなってしまい、自分が非人間主義という「悪」の状態にあることすら分かっていない人がゴロゴロいるわけですよね。

<3>楢山節考(深沢七郎)
「殺し」は究極の「悪」の一つであって、「悪」である以上、「ハレ」の代替物になりうる、「自分を殺す」ことも「ハレ」たりうるということではないかと思います。

世界には、非人間主義を「ハレ」の代替物として取り入れてしまって、人間主義の世界に戻ってこれなくなってしまった人が多数居るということは既に述べました。
日本でも、明治維新以後、「ハレ」であったものが「ハレ」ではなくなり、別の新しい物を「ハレ」とする傾向があると言って良いと思います。
(米国というのは、英国の「悪党」が造った非日常の国の最たる国ですよね。結果、米国の文化というのは、「ハレ」の代替物として非常に魅力的なのだと思います。)

地方出身者や地方在住者にとって(小嶋容疑者は地方出身者)、東京という場所は「ハレ」の場所ですよね。ですから、「上りの新幹線」は「ハレの世界に向かう列車」、「下りの新幹線」は「ケの世界に戻る列車」なわけです。
事件は下りの新幹線、「ケの世界に戻る列車」で起こりました。つまり、小嶋容疑者は人々が「ハレの世界」から「ケの世界」に戻ることを妨げたわけです。

安易に「ハレ」の代替物を求めてしまうと、非人間主義に搦め捕られてしまい、人間主義の世界に戻ってこれなくなるということを、小嶋容疑者は示唆しているように思います。

》小説は純文学だろうと単なるおとぎ話、また、およそ宗教なんてものは単なる詐欺《(同上)

小説や宗教は「ケ」にしてはいけない、「ハレ」に留めなければいけない、と言い換えれば、太田さんの言っていることとも矛盾しないように思います。

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