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法と経済学

244 :名無し@安全保障:2023/05/19(金) 01:05:47 ID:e0Ks7siQ
なぜか、たった1人の反乱スレッドに書き込めないので
こちらへ投稿します。

太田コラムのヒントを続んでから以下をお読み下さいhttps://www.ohtan.net/blog/archives/27465

唐の滅亡は905年。
揚貴妃と外戚の政治介入が国の乱れとなったことは10世紀半ばの日本でも知られていたので、源氏物語の冒頭に揚貴妃への言及がある。
『上達部、殿上人なども困ったことだと目を背け背けして、実に見ていられないほどの(更衣への)ご寵愛ぶりである。
中国でも、こういうことが原因で、世の中が乱れ悪い状態だったのだと、しだいに、世間でも苦々しく、人々の悩みの種となって、楊貴妃の例もきっと引き合いに出すに違いなくなってゆくので、まことにきまりが悪いことが多いけれど、おそれ多い(帝の)お心遣いの比類がないことを頼りにして、宮仕えしておられる。』現代語訳
https://shikinobi.com/genjimonogatari-1

竹取物語は当時の藤原一族へ風刺だったが、それを誤魔かすために、月へ帰るというSF設定にしたと思われる。
https://hanyosirin.exblog.jp/16497517/
源氏物語を政治物として読むと、天皇家の血筋たる光源氏が大出世していく話である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%BA%90%E6%B0%8F

竹取物語は外戚批判、源氏物語は統治者の正統性
を物語を通して読者に知らず知らずの内に植えつけるもくろみがある。唐王朝の滅亡を反面教師として、外戚に国を乗っ取らせない、壟断させないという当時の皇室の意向があったのでしょう。
正直言って、安全保障の観点から源氏物語を考えたことはなかったので、太田さんがヒントを出しまくっても恥ずかしながら、ピンとこなかったですね。書きながら思いついたのですが、紀貫之が女性のふりまでして土佐日記を書いたのは、女官や宮中の女性達に日記を書かせるためで、もちろん、その目的は藤原一族の横暴を記録に残すことによって彼等を牽制する狙いがあったのでしょう。蜻蛉日記は藤原兼家の私生活。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%BB%E8%9B%89%E6%97%A5%E8%A8%98,
紀貫之が帝に命じられて編纂した古今和歌集は言うまでもなく、責族達の関心を国政より文芸に向かわせるためでしょう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86

日本文学の誕生は、唐の滅亡の原因の一つが外威の専横にあったという問題意識から、当時の宮中の実力者、藤原氏を牽制する目的で誕生したと思われる。特にユニークなのは、皇室の意を受けて、その指揮者となったのが紀貫之であり、演者が仮名文字の担い手であった宮中の女性達であったということだろうか。




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