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タイトルコラム#1723(未公開)のポイント
記事No285
投稿日: 2007/04/07(Sat) 22:10
投稿者太田述正
 コラム#1723(2007.4.7)「イランによる英国兵士拉致事件」のさわりの部分をご紹介しておきます。

 イラクとイランの国境線が走っているシャトルアラブ河で、3月23日、モーターボートに乗って(幼児の母親たる女性兵士1人を含む)15人の英海軍および英海兵隊の兵士達が検問作業をしていた時、イランの舟艇2隻に乗ったイラン兵が取り囲み、兵士達を拉致した事件は、13日目に全員が解放されて決着しました。
 ようやく、この事件(Iran Hostage Crisis)の全容がほぼ明らかになったので、ご紹介しておきます。
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 結論から言うと、英軍兵士達を拉致するという決定は、イランの中央の預かり知らないところで、シャトルアラブ河の水路を所管する現地の革命防衛隊の判断で行われた、ということのようです。
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 さて、どうして解決にこんなに時間がかかったのでしょうか。
 何と、イランの旧正月(No Rouz)で、イランの中央の主要な関係者達が休暇を取っていたからだというのです。
 ・・4月3日の休暇明けに上記関係者達が勤務先に戻ると・・ただちに同日中に、大統領府、軍、及び革命防衛隊の代表者を含む面々が集う最高国家安全保障会議(Supreme National Security Council)が開かれ、兵士達を解放する決定が内々下されます。
 翌4日には、・・兵士達・・は解放されたのです。
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 この事件が平穏無事に解決したのは、英国政府が外交的手段に徹したからだという説が有力ですが、イラン周辺に結集した米軍の威力のおかげだという説もあります・・。
 しかし、どちらの説も不正解であって、やや極論すれば、現場が勝手に兵士達を拉致したところ、イランの中央が「即日」解放した、というだけのことだった、ということであったようですね。

 問題はこの事件の過程でイランが犯した数々の国際法違反が、何のお咎めもないままうやむやになりそうなことです。
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 うたた感慨を禁じえないのは、かつて世界に覇を唱え、イランにも怖れ慄かれた英国の兵士達が、イランの革命防衛隊等についにこんな扱いをされるようになったことであり、しかも、こんな扱いをされても、英国は、軍事力による報復どころか、イランとの外交関係の断絶にすら踏みきれないという惨めな姿を晒していることです。