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タイトルコラム#1761(未公開)のポイント
記事No378
投稿日: 2007/05/08(Tue) 21:02
投稿者太田述正
 新ブログ
http://blog.ohtan.net/
とダブリになりますが、皆さん連休疲れか、この掲示板への投稿がほとんどないので、当分の間、この掲示板にも有料版の概要版の掲載を続けます。

 コラム#1761(2007.5.8)「米国とは何か(続々)(その5)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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 次に、・・ローマと米国の奴隷制について論じることにしましょう。
 
 共和制ローマの奴隷制における奴隷は、大部分、ローマの膨張の過程で敗者を奴隷にしたものですが、ローマの経済は農業も製造業も奴隷に依存しており、ためにローマの技術発展は阻害されてしまいます。
 反抗した奴隷は円形闘技場で集団で貼り付けにされたのですが、その見物はローマ市民の主要なレジャーの一つでした。

 このように人権感覚のかけらもなかった共和制ローマですが、変化が起こりかけたのは、帝政になってからです。
 紀元100年頃、トラヤヌス・・帝の親友であったギリシャ人のストア派哲学者のクリソストム・・が、ローマ市で二日間にわたって奴隷制を批判する講演を行ったのです。
 この講演はローマ市民に大きなインパクトを与え、ローマではもともと奴隷を解放・・することが認められていたところ、その数がどんどん増えていったのです。
 この趨勢が続けばローマの奴隷制は自然消滅した可能性すらあるのです。
 ところがどっこい、奴隷制はなくなりませんでした。
 それはローマ帝国に広まったキリスト教のせいでした。
 そもそも、キリスト教の聖書には、新約聖書も含め、奴隷制を批判する記述は皆無です。
 キリスト教生誕から800年間にわたって、キリスト教の聖職者で奴隷制を批判した者は1人もいません。
 それどころか、あの有名な聖アウグスティヌス・・のように、奴隷制を認めるどころか、奴隷制に聖なるお墨つきまで与えた聖職者が少なくありません。
 ローマ皇帝で最初のキリスト教徒となったコンスタンティヌス・・は、それまでの非キリスト教徒の皇帝達が制定した奴隷保護のための諸法の大部分を廃止し、奴隷主は奴隷を撲殺できるものとし、奴隷の両親が子供を奴隷として売ることを認め、キリスト教徒の女性と奴隷が性的関係を持った場合はその女性は焼死させられ、奴隷も処刑されることとしたのです。
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 キリスト教会は、奴隷の避難所に任ずるどころか、自ら奴隷を保有していました。
 欧州における奴隷制は、12世紀前後に経済的理由から、農奴制・・に転換して行く形でほぼ自然消滅する・・のですが、教会だけは奴隷の保有を続け・・ました。
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 しかも、教会は、アフリカ等の非キリスト教地域・・の住民を奴隷にすることにお墨つきを与えただけでなく、自ら奴隷貿易に従事することさえあったのです。
 キリスト教(カトリック)原理主義のスペインは、15世紀末の新大陸発見以前からアフリカの非キリスト教を奴隷にしてきており、この習慣をそのまま新大陸に持ち込みます。
 このようなスペインや、これに続いたフランスによる新大陸での奴隷制を横目で見て、アンチ・キリスト教的であったイギリスも、躊躇しつつも自らの北米植民地において奴隷制を認めるとともに奴隷貿易に乗り出して行くことになるのです。
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 このように見てくると、米国は、キリスト教(プロテスタント)原理主義者たるイギリス人が中心となって建国されただけに、その奴隷制は、ローマの奴隷制の直系ではないかという気がしてきませんか。

(続く)