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タイトルコラム#1779(未公開)のポイント
記事No418
投稿日: 2007/05/24(Thu) 17:04
投稿者太田 述正
 コラム#1779(2007.5.24)「スターリン(その3)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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 以上見てきたように、スターリンには二面性があるわけだが、果たして知性・感性溢れる家庭人であり、同時に殺戮者であるなどということが両立するものなのだろうか。
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 それにしても、スターリンを虐殺者たらしめたものは一体何だったのだろうか。
 スターリンが暴力的な家庭で育ち、ロシアで最も暴力的な都市で育ったことは事実だが、スターリン自身が、残酷さ・野望・自己過信・他人への感情移入の希薄さ、といった、独裁者に適合的な性格的偏りを持っていたことの方が大きい。
 他人への感情移入(empathy)の希薄さは、スターリンがグルジア人であり、ロシアの民衆一般と民族的・社会的に自己同一化できなかったことから来ていると考えられる。
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 決定的だったのは、ボルシェビキの文化そのものだ。
 ボルシェビキは、初期において、メシア的ファナティシズムに突き動かされつつ地下で非合法活動に従事していた。秘密・非寛容・陰謀・暴力はそんな活動にはつきものであり、若きスターリンは、このボルシェビキの中で頭角を現す。
 つまり、ボルシェビキがスターリンをつくったといえよう。
 それが証拠に、粛清は、1917年にレーニンが権力をロシアの掌握してから間もなく始まっており、それが、スターリンの死まで続いたのだ。
 それに、スターリンはレーニンの死後、1929年にソ連の権力を掌握する・・ものの、最近明らかになったことなのだが、それ以降も1937〜38年の大粛清の頃までスターリンが権力闘争に晒され続けた・・ことだ。
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 1932年から33年にかけて、スターリンがウクライナ人弾圧のためにあえて大飢饉を引き起こして600万〜700万人の餓死者を出したこと、ボルシェビキの大物政敵ジノヴィエフやカーメネフを見せ物裁判・・を行った上で1936年に粛清し、これがボルシェビキの幹部を殺す最初の事例となったこと、それがスターリンが1937〜38年に実施した、ボルシェビキを対象とする大粛清・・の前触れとなったこと、そして戦後にスターリンがユダヤ人粛清を行った・・ことは、このような文脈の中で理解されなければならない。
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 つまりスターリンは、その治世を通じて対民衆と対政敵という二正面作戦に明け暮れた、ということだ。

 <以下は私の>感想<です。>

 モントフィオールが摘示する、スターリンに関する事実の圧倒的な重みの前には語る言葉もありません。
 スターリンには神と悪魔が同居していた、という感を深くします。
 ここで大事なことは、スターリンの中の悪魔を解き放ったのは、欧州文明が生み出した民主主義独裁の思想の一つである共産主義であったということです。
 毛沢東や金日成/金正日もそうです。
 ナポレオンの中の悪魔を解き放ったのは、やはり欧州文明が生み出したナショナリズムでしたし、ヒトラーの中の悪魔を解き放ったのも、これまた欧州文明が生み出したファシズムでした。
 ところが、ナポレオンもヒトラーもアングロサクソンの手で葬り去られたというのに、スターリンも、毛沢東も金日成も、権力を掌握したまま大往生を遂げることができました。
 それは、できそこないのアングロサクソンである米国のために、20世紀に入ってから日本が疎外され、日本を含めた自由・民主主義勢力が一体となって共産主義に対抗することができなかったからです。
 そもそも、毛沢東や金日成が、それぞれ支那と朝鮮半島北部の権力を掌握できたのは、米国が日本を疎外し、あまつさえ先の大戦で日本を打ちのめすという愚かなことを行ったせいです。
 スターリンや毛沢東や金日成の犠牲になった無数の無辜の人々の鎮魂のためにも、格下ではあるとはいえ、せめて金正日は、権力を掌握したまま死なせてはいけないと思うのですが、相変わらずのできそこないぶりを発揮している米国と、いまだに吉田ドクトリンを克服できない日本を見ていると、この私のささやかな願いも実現しないかもしれませんね。

(完)