太田述正コラム#10760(2019.8.25)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その117)>(2019.11.13公開)

 「老年期の学問」について、今日のところ、私は次のように考えています。
 「老年期の学問」は、所詮「青春期の学問」の可能性の範囲を超えるものではない。
 それぞれの「青春期の学問」がもっていた可能性を限界にまで追求することによってしか、「老年期の学問」は成り立たない。
 結局「青春期の学問」のあり方が「老年期の学問」の在り方を決定する。
 それが私の結論です。
 「青春期の学問」がなしえなかったことを「老年期の学問」に求めようとするのは、幻想にすぎません。
 つまり両者は本来不可分であり、恣意的に切り離すことはできないということです。
 人生の一体性は、学問人生においても同じだと思います。

⇒近現代歴史学に関しては、それに取り組むための不可欠な前提である母語と(国際標準語とでも言うべき)英語の力や世界史に関する幅広い知識を身に着けるためには、幼少期から青春期までの環境と努力が物を言うけれど、青春期に、特段、学者となる教育訓練を受けたり学者としての研究活動を行ったりすることが不可欠だ、とは私は思いません。
 (研究対象からして、古文や古文書を読む必要は基本的にありませんからね。
 論文を書く時には典拠を付けなければならない、といったことなどは、教わるまでもなく常識でしょう。)
 とりわけ近現代政治史学の場合、それよりも大事なのは、(外交官や)行政官や政治家としての経験を若いころに積むことです。
 (私の法学部同期で一度だけ会ったことがある北岡伸一のように、50歳を過ぎてから日本の国連大使(次席)を2年半弱、お客さんとして経験させてもらった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B2%A1%E4%BC%B8%E4%B8%80
ところで、申し訳ないが、もはや薹が立っていて、そんな経験の研究者にとっての意義など、殆どなかったはずです。)
 私の場合、東大の駒場と本郷で近現代政治史を含む政治学をちょっぴり教わり、また、スタンフォード大の修士課程で経営学の片手間に政治学も齧ったわけですが、米国の修士課程は、日本で言えば学部レベルであり、研究した、と言えるようなものではありません。
 それどころか、私に関しては、今にして思えば、三谷の若かりし頃の諸著作を含め、日本の戦後の近現代史学者達の著書や論文の勉強をきちんと行う時間的余裕がなかったのがむしろ幸いし、戦後の日本近現代史学界の歪んだ「通説」に染まり過ぎなかったおかげで、50歳を過ぎ、更に老年期に入ってから本格的に始めた研究であったにもかかわらず、研究の方向性が徐々に正しくなり、研究成果を次第に実りあるものにしてくることができた、とさえ思うのです。
 ま、これは、長年の読者の皆さん、いや、と言うより、後世の皆さん、の評価に待たなければなりませんが・・。
 従って、「「青春期の学問」がなしえなかったことを「老年期の学問」に求めようとするのは、幻想にすぎません。」という三谷の主張は「幻想にすぎ」ないのではないでしょうか。
 そもそも「人生の一体性」なんてこと自体、必ずしも正しくないように思います。
 「一体」の定義にもよるけれど、例えば、釈迦は、仮に、出家せず、或いは解脱できなかったとしたら、その「人生」は「一体」で終わったかもしれないけれど、解脱後の釈迦の「人生」は、それまでの釈迦の「人生」とは決して「一体」ではなくなっていたはずです。(太田)

 ただ「老年期の学問」は、どちらかといえば、特殊なテーマに焦点を絞る各論的なレベルの発展よりも、より一般的なテーマに傾斜した総論的なレベルの発展に力点を置くべきではないかと考えます。・・・

⇒ここは、そう違和感はありません。(太田)

 私は学問の発展のためには、学際的なコミュニケーションの他に、プロとアマとの交流がきわめて重要だと思います。

⇒ここも、近現代歴史学に関しては、そう違和感はありませんが、三谷の先程から論じている「学問」とは何かについて、(そもそも、何事によらず、定義をすることが嫌いなように見受けられるところの)三谷が何の限定符も付けていないことが気になります。
 自然科学の場合、老年期の研究者達は、大部分、各論的なものであれ総論的なものであれ、生産性が減退し、もっぱら後進の指導や研究行政に携わらざるを得ないように思いますし、自然科学の場合、そもそも、研究に関し、アマと交流したところで、殆ど意味がないようにも思うのですが・・。(太田)

 そのためにも、「総論」(general theory)が不可欠であり、それへの貢献が「老年期の学問」の目的の一つではないかと思います。

⇒「総論」が、「学際的なコミュニケーションの他に、プロとアマとの交流」に資する、と三谷は言っているところ、どういうことなのか、分かったようでよく分かりません。
 ここも定義の話なのですが、近現代政治史学の場合、三谷にとって、プロとアマとの違いって、一体、何なのでしょうね。
 研究を生業としてやっている人、と、研究を趣味としてやっている人、だとすると、畑は違うけれど、民俗学の柳田國男
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7
がアマだということになってしまって、何だか柳田のような研究者に対して失礼だと思うのですが、それとも、歴史学に即して、「プロ」とは、もっぱら一次史料を、読む、ないしは発掘して読む、人、で、「アマ」とは、もっぱら二次史料を読む人、なんですかねえ。(太田)

(続く)