太田述正コラム#1352(2006.7.22)
<戦後ポーランドのユダヤ人虐殺>(有料→公開)

 (7月中のオフ会開催は流れましたが、私のホームページ(http://www.ohtan.net)の掲示板の投稿#2487で8月中のオフ会開催提案がなされ、また、#2485で準会員制の提案がなされた(それに私が#2486でお答えした)ところです。
 そこで、ショートノーティスで恐縮ですが、8月5日(土)(1400??1730目途。会費500円。二次会を予定)に私の事務所(練馬区豊玉南3-10-12野方パークハイツ305。03-3992-3342)でオフ会を開催することにしましたので、ふるってご参加下さい。
 眼目は、有料化移行記念・事務所IT環境整備完了記念です。
 当日は、「準会員」候補者面談会を兼ねたいと思います。何をやっていただけるかは、私が#2486に記したこと以外にもありうると思いますので、お気楽にどうぞ。
 出席される方は、掲示板への投稿か私(ohta@ohtan.net)宛メールでお知らせ下さい。)

1 始めに

 ポーランド生まれのプリンストン大学歴史学教授のグロス(Jan T. Gross)が、2001年に上梓した “Neighbors”・・先の大戦中のポーランド人によるユダヤ人迫害・虐殺を描いた・・に引き続き、先般“Fear: Anti-Semitism in Poland After Auschwitz.”を上梓し、先の大戦直後(1945??46年)のポーランド各地での生存・帰還ユダヤ人に対する迫害・虐殺を描き、ワシントンポストやニューヨークタイムスの書評欄が取り上げています。
 時あたかも、ポーランドでは、2004年にこの国がEUに加盟したばかりだというのに、EUの掲げる自由主義と世俗主義に疑義を呈する政党・・法と正義の党(Law and Justice Party)・・が昨年政権をとり、今月、この党の最高実力者であるヤロスラフ・カチンスキー(Jaroslaw  Kaczynski。1949年??)が、既に同党から大統領になっていた一卵性双生児たる弟のレック・カチンスキー(Lech Kaczynski)の下で首相に就任し、回りの国々は、一体ポーランドの今後がどうなることかと心配しています(http://www.latimes.com/news/printedition/asection/la-fg-twins12mar12,1,6369975.story?coll=la-news-a_section
。7月23日アクセス)。
 幸か不幸か、ポーランドもまた、反自由主義的・反ユダヤ主義的伝統を有する欧州文明に属す国であり、容易なことではかかる文明的病(やまい)を克服することができない、ということだと思います。
 今回は、まだほとんど知られていない、ポーランド人による先の大戦直後のユダヤ人迫害・虐殺について、同様にほとんど知られていないポーランド人による先の大戦中のユダヤ人迫害・虐殺にも言及しつつ、ご紹介しましょう。

2 ユダヤ人虐殺事件

 先の大戦中に、ポーランド在住のユダヤ人は9割方、約300万人がナチスドイツによって死に至らしめられ、生存して戦後を迎えることができたのはわずか20万人に過ぎませんでした。その時点でのポーランドの人口は2,000万人でしたから、ユダヤ人人口の割合は1%にまで下がってしまっていました。
 ポーランド人もユダヤ人も、ともにナチスドイツによって大きな被害を受け、とりわけユダヤ人はひどい目に遭ったのですから、ポーランド人はユダヤ人に同情し、暖かく接しても不思議はありませんでした。
 ところが、実際に起こったことはそれとは正反対でした。
 そもそも、ポーランド人は、ドイツに侵略された時にはドイツに対し激高しましたが、ドイツによるユダヤ人虐殺にはひそかに喝采を送っていたのです。
 ロンドンのポーランド亡命政府もそうだったという傍証がありますし、占領下のポーランドでは、ドイツによるユダヤ人狩りに積極的に手を貸すポーランド人が続出しました。
 また、ユダヤ人達がドイツ兵によってゲットーから駆り立てられるや否や、彼らが収容所行きの列車に乗せられる前に、ゲットーは待ち構えていたポーランド人群衆によって掠奪の対象になるのが通例でした。
 それどころか、ポーランド人自身が進んでユダヤ人虐殺を行ったのです。例えば、1941年7月4日には、Jebwabneという町でユダヤ人約1,600名が殺害されています。
 ドイツが降伏した直後には、ポーランド小作人党は、党大会において全会一致で、ヒットラーがユダヤ人を虐殺したことに謝意を表するとともに、生き残ったユダヤ人を追放することを決議しました。
 ですから、戦後ポーランドに帰還したユダヤ人には悲惨な運命が待ち構えていました。
 早くも帰還列車の中で、ポーランド人達によって列車の外に投げ出されて殺されたり、列車の中で殴り殺されたりするユダヤ人が続出しました。
 やっとゲットーに帰り着いたユダヤ人も、あらゆる場所で、単独で、あるいは集団で殺戮されたのです。例えば、Kielceという町では、警官・兵士・労働者・ボーイスカウトらが入れ替わり立ち替わりやってきて、鉄パイプや石や棍棒で、建物の中に閉じこめたユダヤ人の男女80名を殺害しました。
 やむなく多くのユダヤ人は、再び国外に脱出しました。その行き先の大部分は、皮肉にもドイツでした。
 ところが、ポーランドのカトリック教会もポーランド共産党も見て見ぬふりを続けました。
 ポーランド人による、戦時中のユダヤ人迫害・殺戮はともかくとして、戦後のユダヤ人迫害・殺戮がどうして起こったのかを説明することは困難ですが、グロスは、戦時中の殺戮や掠奪の痕跡を拭い去るためにポーランド人は、戦後にも引き続きユダヤ人を殺戮したとしか思えない、と記しています。
(以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/23/AR2006062301304_pf.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/22/AR2006062201085_pf.html
(どちらも6月26日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2006/07/23/books/review/23margolick.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(7月23日アクセス)による。)