太田述正コラム#14936(2025.5.11)
<渡辺信一郎『中華の成立–唐代まで』を読む(その11)>(2025.8.6公開)
「・・・前770年、内部対立と周辺諸族の侵入により、周王は、宗周を放棄して成周に遷った。
これ以後、前221年の始皇帝による全国統一までの約550年間を・・・春秋時代<と>・・・戦国時代<からなる>・・・東周とよぶ。・・・
戦国時代にはいると戦争状態は激化の一途をたどった。
春秋時代の戦争は戦車戦を中心とし、大規模な戦争でもせいぜい数万人規模であった。
戦国期にはいると、歩兵戦が中心となり、ついで騎馬戦が導入され、一度の戦争に数十万の兵士が動員されるようになった。・・・
<その後、>第一の社会的変化として挙げなければならないのは、春秋・戦国期をつうじて、小家族が主体となって営農する小農経営が広汎に形成されたことである。
・・・仰韶文化<(注19)>期には四つ前後の小家族が複合世帯を編成し、小人生産の基本単位となっていた。
(注19)ぎょうしょうぶんか=ヤンシャオぶんか。「この・・・紀元前5000年から紀元前2700年あたり<の>・・・新石器時代の文化・・・が主に栄えた地域は、[黄河中流域<の>]河南省、陝西省および山西省である。・・・仰韶農業の正確な性質 — 小規模な焼畑農業か永続的な農地での集約農業か、は現在議論の余地がある。・・・(家畜)を飼っていたが、食用の肉の大部分は狩猟や漁業で得ていた。・・・後世の龍山文化と異なり、仰韶文化は土器の作成にろくろを使わなかった。・・・集落<は>完全に環濠で取り囲まれていた・・・遺跡からは半坡文字と呼ばれる文字に近い記号も発見されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B0%E9%9F%B6%E6%96%87%E5%8C%96
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 ([]内)
この複合世帯のなかから小家族が自立し、生産と消費をおこなう家を形成するようになったのである。」(40、43、47)
⇒仰韶文化は、広義の黄河文明の中の諸文化の一つに過ぎず(上掲)、しかも、戦国期とは時代が遠く離れており、戦国期の小家族の起源を仰韶文化の小家族複合世帯に求める渡辺説には無理があると言わざるをえません。
戦国期において多かれ少なかれ各国がそれぞれ総力戦体制的なものを構築せざるをえなくなり、歩兵として使える青壮年農民を農閑期に必要に応じて兵装を与えて根こそぎ歩兵として使う徴兵制的なものを採用する運びとなり、そうなると、かかる兵役義務を課されるところの、男子成人たる農民、または、男子成人たる子供と同居する父親たる農民、を家長に指名し、その家を兵役その他の税の納税単位とすることが合理的なのでそうした結果として、「小家族が自立し、生産と消費をおこなう家を形成するようになったのである」、と、私は見ている次第です。
少し先走りますが、ほぼ同時期に成立したところの、ユーラシア大陸東端の秦/漢帝国と西端のローマ王制/共和制/帝政、の、初期の軍制は似通っていて、どちらも東端の支那の戦国期における上述の軍制的なものからスタートしている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E8%BB%8D%E5%9B%A3 ←ローマ
と思われるところ、その後、東端も西端も騎馬遊牧民の脅威に直面することになり、西端においては、「騎士」<(注20)>観念を中核とする封建制なる軍制が成立したのに対し、東端においては、・・「騎馬武者」たる「武士」観念を中核とする封建制が成立した日本(コラム#省略)を除き・・ついに「騎士」観念が生まれず、封建制が成立しないまま推移することになるわけです。(太田)
(注20)「フン族、アヴァール人、マジャル人といった遊牧騎馬民族は、古代末期よりたびたび<欧州>に侵攻して乗馬技術や騎馬戦法をもたらした(騎馬戦法は古代スキタイに発し、3世紀頃のパルティアで完成したと言われている)。ゲルマン諸部族の戦士は、もともと歩兵が多かったが騎兵もフン族やサルマタイ人の影響を受けて次第に増加していった。中世初期のメロヴィング朝でも軍の主力は<ローマ軍同様>歩兵であったが、カロリング朝初期の800年前後には少数精鋭の重装騎兵が軍の中心に据えられた。一説には馬から降りて戦う(下馬騎士)ことが多かったとも言われている。騎乗して戦う騎兵が活躍するようになった背景には、鐙(あぶみ)をはじめとする馬具の改良があった。[3世紀に支那で生まれ、]8世紀初頭にフランク族に伝わった鐙は、騎乗したたま身体をしっかり支えて武器を振るうことを容易にした。9-10世紀には蹄鉄と拍車が普及した。こうして重装騎兵は11世紀後半頃までに有力な戦力として戦闘の主役となるに至った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%99 ([]内)
(続く)