太田述正コラム#7076(2014.7.24)
<米独立革命とキリスト教(その5)>(2014.11.8公開)
 (3)総論
  ア 総論
 「「北米の革命的理神論者達は、自分達自身を、文明化された世界一帯における概ね同じ文献に拠っている国際運動への参加者達である、と自分達自身を見ていたし、実際そうだった。」とスチュアートは記す。」(A)
 「米国の鍵となった建国の父達は、懐疑論<(注19)>者(skeptic)中の最も急進派だった。
 (注19)scepticism(懐疑論=懐疑主義)。「基本的原理・認識に対して、その普遍性・客観性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義・・・古代から近世にかけて、真の認識をもたらさない、あるいは無神論へとつながる破壊的な思想として論難されることが多かった。・・・<なお、>これに対して、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする立場を独断主義(独:Dogmatismus)ないし独断論という。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%90%E7%96%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 彼らの哲学を、その本質まで煮詰めれば、無神論と見分けがつかなかった。
 彼らの無神論は、口に合うように巧妙に粉飾されていたが、新しい合衆国に形を与えた政治的諸原理に吹き込まれた(infused)。
 これら全てが意味するものは、1776年に米国が独立を宣言したのは、一つの帝国的君主からのではなく、超自然的宗教の計略(artifice)を通じて人間の心が自分自身に押し付けているところの専制(tyranny)からの独立であった、ということだ。」(B)
⇒問題は、スピノザと違って、英領北米植民地人の大部分が、キリスト教の聖書の意識的無意識的影響下にあったことであり、とりわけ、スチュアートの指摘が正しいとすれば、米国の建国の父達の多くが聖書の無意識的影響下にあったと考えられることです。
 となれば、米国の指導層は、最初から、リベラルキリスト教徒であった、ということになりそうです。(太田)
 博学なトーマス・ジェファーソン、狡猾で掴みどころのないベンジャミン・フランクリン、そして過小評価されているトーマス・ペイン、だけでなく、グリーン・マウンテン・ボーイズ(Green Mountain Boys)<(注20)>の英雄であるイーサン・アレン、そして、ボストン茶会を始めたトーマス・ヤング、といった、これらの米国を建国した急進派達が、心の革命に向けて自分達の視線を定めたのだ。
 (注20)「1760年代後半以降,ニューヨークの大土地所有者,土地投機業者,植民地総督らに対する闘争を展開したアメリカ,バーモント地方の農民の集団。バーモント地方に位置するアパラチア山脈支脈の山地はグリーン・マウンテンと呼ばれ,バーモントの別称となっている。」
http://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA
 当時、「不信心者達」や「無神論者達」と嘲られた彼らは、我々を、一人の王からではなく、超自然的宗教の専制から解放しようと欲したのだ。」(C)
 「スチュアートは、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリン、及び、ジョージ・ワシントンが共有していた非正統の信条の最も率直な(outspoken)提唱者として、火吹き男達である、タイコンデロガ砦(Ft. Ticonderoga)<(注21)>攻略者のイーサン・アレンと、ボストン茶会の扇動者であるトーマス・ヤング、にとりわけ関心を払う。
 (注21)「<英領北米>民地が支配したハドソン川流域とフランスが支配したセントローレンス川流域を結ぶ交易路を戦略的に抑える<場所に>・・・1754年から1757年の間にフランスが建造し<た砦。>・・・フレンチ・インディアン戦争<の時、>・・・1758年のカリヨンの戦いで、4,000名の<仏>守備軍がこの砦の近くで16,000名の<英>軍による攻撃を撃退した。1759年、<英>軍が戻ってきて、砦を脅かす高地を占領するだけで砦から一握りの守備隊を追い出した。<米>独立戦争のとき、イーサン・アレンとベネディクト・アーノルドが指揮するグリーン・マウンテン・ボーイズなど民兵隊が急襲でこの砦を奪取した。<米>大陸軍は1777年6月までこの砦を保持したが、ジョン・バーゴイン将軍の指揮する<英>軍がやはり砦を見下ろす高地を占領して大陸軍を脅かしたので、大陸軍は砦と周辺の防御地から撤退した。砦に対する唯一の直接攻撃は1777年9月のことで、大陸軍の500名を率いたジョン・ブラウンが約100名の<英>守備隊から砦を奪おうとしたが失敗した。サラトガ方面作戦が失敗した後、<英>軍はこの砦を放棄し、1781年以降は軍事的価値が無くなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AD%E3%82%AC%E7%A0%A6
 同時代人達は、彼らを、不信心者達や無神論者達と呼ばない時は理神論者達と呼んだが、スチュアートは、この革命の哲学的動力源であった理神論にかなりの関心を注ぎ、21世紀の保守主義者達の若干がそれを低カロリーのキリスト教(Christianity Lite)と宣言(proclaim)したけれど、そうではないのだ、と説明している。・・・
⇒私は、むしろ、「低カロリーのキリスト教」という呼称は、リベラルキリスト教の呼称として的確であると思います。(太田)
 イーサン・アレンは、1770年に、グリーン・マウンテンの植民者達は、「自然法に則って、自分達が耕していた土地を所有する」権利を持つ、と宣言(declare)した。
⇒この論理は、私に言わせれば、英本国及びインディアンに対し、自分達には、インディアンが「耕してい」ない土地を奪取し、占拠し、耕す権利がある、と主張することを意図した、得手勝手なものです。(太田)
 自然法は、米革命の中核的諸観念の基盤であり、人々は、本来的に(in nature)自由で平等であり、政府は人間同士の契約<の産物>であって、<いずれも、>上方<の神>から下げ渡された何物かではない、と。」(A)
 (5)ジェファーソン
 「ジェファーソンは、人間が受け入れなければならないけれど理解することはできない形(manner)で救済と天罰(damnation)を与える(dole out)、カルヴィン派の神に恐怖感を抱いた(appalled)多くの理神論者達のうちの一人なのだ。
 この懲罰的存在の代わりに、理神論者達が提案したのが「自然の神…すなわち、私的かつ不可解な(inscrutable)諸令(acts)ではなくて公布された諸法(publicly promulgated laws)の神」だった。
 彼らにとって、「信条は証拠<(経験論(太田))>に係ることであって選択<(合理論(太田))>に係ることではなかった」とスチュアートは陳述する。
 北米の理神論者達がこの概念を市民分野に適用した時、彼らは、同時代の政治諸制度に、啓示宗教(revealed religion)<(注22)>同様、満足できないことを発見した。」(A)
 (注22)「恩寵や奇跡など,通常の人間理性を超越する神の働きによって成り立つ宗教」
http://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E7%A4%BA%E5%AE%97%E6%95%99
 「1822年に、トーマス・ジェファーソンは、有名にも、「現在、合衆国にすんでいる青年でユニタリアン(Unitarian)<(注23)>として死なないであろう者は一人もいないと信じる(trust)」と言明したが必ずしもそうはならなかったところ、それがどうしてなのか<だが、>・・・ジェファーソンは、理性の光が最善の殺菌剤(disinfectant)であると信じていた。
 (注23)「キリスト教で伝統的に用いられてきた三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいう。歴史的には、ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。・・・<そ>の思想的先駆者はポーランド王国で1556年・・・に活動を開始しのちにポーランド・リトアニア共和国で広まったポーランド兄弟団である。・・・この宗教思想が流入してきたイギリスではしばらくの間かれらは自由思想家や非国教徒として位置付けられ<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 多分、彼は、それが効果的であるためには、定期的に、かつ懸命に<この殺菌剤が>再適用されなければならない、ということに言及するのを忘れてしまったのだ。
 北米における宗教の自由化(liberalization)<(注24)>に関しては、私は、彼は時期については間違っていたけれど、歴史の方向性においては間違っていなかったと考える。
 (注24)宗教はキリスト教(Christianity)と読み替えられなければならないところ、宗教の自由化(liberalization of Christianity)とは、ごろ合わせでも何でもなく、まさに、リベラルキリスト教徒(liberal Christian)化そのものである、と言えそうだ。
 <もとより、>どうして彼は時期を間違えたのか、という問題は残る。」(E)
⇒私の言葉に置き換えるまでもなく、ジェファーソンは、米国人は、全員リベラルキリスト教徒になったと言明したが、実際には、(聖書に忠実な)キリスト教原理主義者たる米国人が根強く生き残って現在に至っている、と言ってよさそうですね。(太田)
(続く)