太田述正コラム#0513(2004.10.25)
<オリンピックでのメダル獲得数(その2)>

 (本稿は、コラム#460(2004.9.2)の続きです。)

2 各国の論調

 (1)「英国」
  ア 英国
 10月18日にロンドンで、アテネオリンピックとパラリンピックでのメダリスト達を讃える集いが催されました。
 この集いは、2016年にロンドンで二回目のオリンピックを開催することも視野に入れて行われたものですが、パラリンピック終了まで待ったところが粋ですね。
 この集いはトラファルガー広場で行われ、そこまでパレードが行われたのですが、主催者の発表では沿道に20万人が並んだとされているところ、トラファルガー広場に集まった群衆は20,000人にも満たない程度でした。
 昨年11月にラグビー世界一になった英国チームが凱旋した時には、雨であったにもかかわらず、合計100万人も集まったのと比較すると、今回のオリンピックで(ソ連圏諸国がボイコットしたロサンゼルス大会での37個に次ぐ)実質史上最多のメダル30個を獲得した(http://sport.guardian.co.uk/olympics2004/story/0,14912,1293444,00.html。8月31日アクセス)というのに、英国のスポーツにおけるオリンピックの位置づけが分かります。
 (以上、特に断っていない限りhttp://sport.guardian.co.uk/london2012/story/0,14213,1330646,00.html(10月19日アクセス)による。)
 余暇としての近代スポーツが始まったのは英国において(注1)であり、英国人がやっているスポーツは多岐に及び、オリンピック種目に採用されているスポーツはそのほんの一部であって、オリンピック種目を特に政府が熱を入れて助成するということがないこと等が思い起こされます。

 (注1)特に球技は、そのほぼすべてが英国、就中イギリスで始まったと言ってよい。

 いずれにせよ、英国は今回たくさんメダルをとったというのに、欧州のラテン系で、人口が同じくらいのフランスとイタリアに依然遅れをとっていることがしゃくの種のようですhttp://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1294105,00.html。9月1日アクセス)。
 私のように、(米国を除く)アングロサクソン諸国全体でメダル数を数えることはあえて避けるところが英国人の生活の知恵なのでしょう。

  イ オーストラリア
 英国と同じ元首をいただくアングロサクソンでスポーツ大国であるオーストラリアの人々は、母国英国の今回の成績について、座ってやる種目しか勝てないのかと嘲っているといいます。確かに、今回英国がとった9つの金メダルのうち6つはボート・ヨット・乗馬・自転車でとったものであり、残りはトラック競技での3つだけです(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1296988,00.html。9月4日アクセス)。
 オーストラリアとしては、英本国への劣等感をはらすことができるのはスポーツくらいしかないというのに、今回のオリンピックではあまり振るわなかった、ということが、この皮肉の背景にあると思われます。
 ちなみに、過去三回のオリンピックのメダル数の比較は次の通りです。
 アトランタ:豪41(金9)・英15(1)、シドニー:豪58(16)・英28(11)、アテネ:豪49(17)、英30(9)

  ウ カナダ
深刻なのは、やはり英国と同じ元首をいただくカナダです。メダルの数がアトランタ22個からシドニー14個へと激減しており、アテネでも12個と更に落ち込んだからです。(ただし、金メダルの数はいずれも3個ずつで変わらない。)
このことは、最近のカナダにおける沈滞ムードとあいまってカナダ人の気持ちを一層滅入らせています。
沈滞ムードというのは、言うなれば、できの悪い(bastard)アングロサクソンである米国の隣国として、カナダはアングロサクソンの良心を代弁してきた感があり、このことがカナダ人の誇りであったところ、ピアソン(Lester B. Pearson。1897??1972年。首相1963??68年)首相がスエズ動乱を収束させるためのシナイ半島向け国連平和維持部隊の創設への尽力に対して1956年にノーベル平和賞を受賞した時代や、トルドー(Pierre Trudeau。1919??2000年。首相1968??79年・80??84年)首相が第三世界の移民に広く門戸を開いたり米国に抗して「独立的」外交政策を追求したりしてカナダの名前を世界に轟かせた時代は渺とした過去となり、最近のカナダが国家としての志を喪失し、リーダーが小粒になってしまった感があることを指しています。
もっとも、これは、1960年代から70年代にかけてカナダ人が抱いていた二つの不安、隣の超大国米国に経済的文化的に飲み込まれてしまうのではないか、フランス系が多いケベックが分離してしまうのではないか、をカナダが克服したことによってカナダ人が虚脱状態に陥ってしまっているというだけのことなのかもしれません(http://www.nytimes.com/2004/09/29/international/americas/29letter.html?pagewanted=print&position=。9月29日アクセス)。

(続く)

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