太田述正コラム#0545(2004.11.26)
<プロト欧州文明について(その2)>

 (前回のコラム#544についての、掲示板(http://www.ohtan.net/cgi-bin/bbs/ohta_bbs.cgi)上での読者とのやりとり(#804、806)をご参照下さい。)

3 神聖ローマ皇帝

 神聖ローマ皇帝の方の悪人の代表は、時代が少しさかのぼりますが、フリードリッヒ2世(Frederick??。1194??1250年。両シチリア王1198年、ドイツ王1212年、皇帝1220年)になってもらいましょう。
 フリードリッヒ2世を語るためには、偉大だったその父神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ6世(Henry??。1165??97年。ドイツ王1169年、皇帝1191年、両シチリア王1195年)の事跡から説き明かさなければなりません。
 5世紀における西ローマ帝国崩壊後の欧州の状況を一言で構図化すれば、ローマ化していた民衆をゲルマン系の君主や貴族がローマ法を援用して強権的に支配しつつ、その君主や貴族は勢力伸張を互いに競い合う一方で、このゲルマン系世俗勢力に対し旧ローマ帝国を体現するローマ法王を頂点とするカトリック宗教勢力が、欧州の最高権力をどちらが掌握するかをめぐってせめぎ合う、というものです(注2)。

(注2)この構図は、聖俗一体の東ローマ=ビザンツ帝国の版図、北欧ないし東欧のまだキリスト教化していなかった地域、イベリア半島南部等イスラム勢力の版図、そして民衆がゲルマン系支配者と完全に融合しゲルマン法とケルト系の宗教観を保持し続けたイギリス、にはあてはまらない。

 ハインリッヒ6世は、この構図を根底から覆し、皇帝を頂点とする旧ローマ帝国の再現をめざし、これを達成する直前まで漕ぎつけた、最初にして最後の神聖ローマ皇帝なのです(注3)。
 
(注3)最初にして最後の人物だと言ってもいいのかもしれない。ナポレオンもヒトラーも「達成する直前まで漕ぎつけた」とは到底言えないし、現在のEUも、旧ローマ帝国域外であった北欧はもとより、東欧まで拡大はしたものの、地中海南・東岸にはいまだ及ばず、かつまたいまだ政治統合はもとより完全な通貨統合にすら至っていないからだ。
    ちなみに、東ローマ皇帝ユスティアヌス1世(Justinian??。483??565年。皇帝527??565年)は、再び地中海をローマ帝国の内海にすることには成功したが、アルプス・ピレネー越えまでには至らず、しかもこれは6世紀という旧ローマの延長時代の話であることから、忘れてよかろう。ただし、彼の手になるローマ法の集大成が後の欧州に与えた影響は極めて大きい。(http://www.newadvent.org/cathen/08578b.htm。11月27日アクセス)

 ハインリッヒはイタリア半島南半分とシシリー島を領土とする両シチリア王国(注4)の国王の王女と結婚したことから、同王国の内紛に乗じてこの王国の国王にも就任します。
 
 (注4)イタリア南部とシシリー島はビザンツ帝国領だったが、9世紀にイスラム勢力によってシシリー島が征服されてしまう。11世紀にローマ法王のお声掛かりでスペインにいたノルマン人がまずイタリア南部を征服し、次いでシシリー島を征服する。(ノルマン人によって1060年に着手されたシシリー島征服を、1066年のウィリアム王によるイギリス征服に先立つthe first Norman Conquestと呼ぶことがある。)そして1130年にイタリア南部とシシリー島が統合され、ノルマン系の両シチリア王国(Kingdom of Two Sicilies。ただし、成立当初の国名は異なる)が成立する。(http://www.boglewood.com/sicily/saracens1.html以下。11月26日アクセス)
 
 両シチリア王国は神聖ローマ帝国版図の域外でしたが、ハインリッヒはこの王国を帝国内に組み入れ、これを第一歩として神聖ローマ帝国を拡大させることによって、旧ローマ帝国版図を回復しようと考えます。当然彼は、この拡大神聖ローマ帝国の皇位を自分のホーエンシュタウフェン(Hohenstaufen)家の世襲とすることもめざしました。
 彼の31歳での早すぎる死の直前には、両シチリア王国の帝国版図内への組み入れにこそまだ成功していませんでしたが、幼児である息子フレデリックのドイツ王(皇帝への就任が慣例化していた)への帝国議会での選出を見届け、皇位の世襲化への布石を打つことに成功していました。
 しかも、イギリス、及びフランスの半分(ブルゴーニュ地方等)、更にはキプロスとアルメニアは皇帝の家臣(vassal)となり、ハンガリーとデンマークはドイツ王の宗主権(suzerainty)を認めるに至っていました。
 そして、将来のビザンツ帝国征服を含みに、ビザンツ帝国皇帝にビザンツ領の大幅割譲を要求し、1197年にはイスラム勢力からの地中海東岸「奪還」をめざしてシチリアから6万人の兵力で十字軍を進発させたのです。後でハインリッヒ自身がかけつけ、陣頭指揮をとる予定でした。
 まさにこの時、ハインリッヒは突然逝去してしまったのでした。
 (以上、特に断っていない限り、http://www.newadvent.org/cathen/07233a.htm(11月26日アクセス)によるが、いつものように、私の見解をちりばめてある。)

(続く)

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