太田述正コラム#0605(2005.1.25)
<ブッシュの就任演説(その2)>

 ブッシュドクトリンとは何であるかを理解する鍵は、演説中にa: terrorという言葉が全く登場しないこと、であり、また逆にb:Tyrrany(Tyrant)という言葉が6回も登場すること、です。

2 ブッシュドクトリンへの道

 ブッシュドクトリンに至るブッシュ政権の対外政策の変遷を、aに着目する米国のコラムニストのケーガン(Robert Kagan)の論説(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A27822-2005Jan21?language=printer。1月24日アクセス)をなぞりながら、整理してみましょう。
 ブッシュ政権の初期は現実主義のフェーズでした。クリントン政権の道徳主義的・人道主義的偏りを是正し、狭義の国益に立脚し対外的介入は最小限に抑える、というものです。
 そこに2001年の9.11同時多発テロが起こり、ブッシュ政権は、対テロ戦争という理想主義・現実主義並存のフェーズに入ります。狭義の国益に立脚する点では変わらないけれど、対テロ戦争における勝利を国益の中心に据えた結果、アフガニスタン・イラク等の自由・民主主義化(体制変革)という理想主義的政策とロシア・中国等の専制的体制との連携という現実主義的政策が並存することとなったフェーズです。
 ところが、今次就任演説でブッシュドクトリンを打ち出した結果、ブッシュ政権の対外政策は第三のフェーズ、理想主義のフェーズに入ることになったのです。すなわち、対テロ戦争に資するか否かなどということとは直接関わりなく、全世界の自由・民主主義化(体制変革)を追求するというのです。国益概念を拡大し、かかる理想主義を追求することは、米国の政策がダブルスタンダードであるという誹りを免れることができるため、むしろ米国の国益に資する、とブッシュは考えるに至ったわけです。
 一見これは、米国の伝統的な考え方(コラム#504)への回帰のようにも思えます。
 例えば、米国建国の父であるマディソン(James Madison。1751??1836年)第四代大統領(1809??17年)は1823年に「今や自由と専制との間の大抗争時代に入った」と述べていますし、トルーマン大統領は1947年に「自由な人々を支援することこそ米国の政策でなければならない」と宣言し、ケネディ大統領は1961年の就任演説で「自由の生存と成功を確保するため・・あらゆる代償を支払い、あらゆる重荷を背負う」と誓約し、レーガン大統領は1982年に「自由のための世界的キャンぺーン」を提唱しているからです。
 しかし、トルーマンはファシストの独裁者フランコ(Francisco Franco)と誼を通じ、ケネディはラテンアメリカの親米的な独裁者達を支援し、レーガンもまたフィリピンのマルコス(Ferdinand Marcos)大統領・チリのピノチェト(Augusto Pinochet)大統領・韓国の軍事政権を支援する、という具合に言行不一致であり、言行不一致であることが当然視されてきました。
 しかし、第三フェーズに関してブッシュは、就任演説の中で「米国は投獄された反体制派を座視することはしない」(America will not pretend that jailed dissidents prefer their chains.)と言い切ったことによって、自ら退路を断ち切ってしまったのです。

3 ブッシュドクトリンの現実化

 (1)始めに
 それでは、ブッシュは就任演説にあっては総論だけにとどまっていたブッシュドクトリンをどのように現実化して行こうとしているのでしょうか。
 その手がかりは最近のブッシュ政権の対外政策の変化とライス新国務長官の上院での就任審査の際の発言に求めることができます。
 
 (2)対外政策の変化
 昨年の暮にかけてのウクライナでの大統領選挙をめぐる騒動の際、ブッシュ政権はユシュチェンコ氏の勢力を実質的に支持し、対テロ戦争の僚友ロシアのプーチン大統領の面子が丸つぶれになるのを冷ややかに見守りました(コラム#548、551、553)。これは対ロ政策の変化です(ワシントンポスト上掲)。
 またブッシュ政権にとって、中国もロシア同様対テロ戦争(ただし北朝鮮核問題対処を含む)の僚友であったところ、ブッシュ政権の対台湾政策(すなわち対中国政策)が変化する兆しが2003年11月頃には出てきていました(コラム#188)が、このところブッシュ政権が、EUの対中武器禁輸解除に向けての動きに対し強硬に異を唱えている(コラム#578)ことは、対中国政策の変化がはっきりしてきた、ととらえることができそうです。
 こうなると、2003年末にパウエル国務長官(当時)が、ロシア・中国・インド・北朝鮮を一括りにしてあたかも潜在敵国であるかのように扱った論考を発表した(コラム#224)のは、ブッシュドクトリン登場の前触れだった、と言っていいのではないでしょうか。(インドはBJPの総選挙での敗退(コラム#354)によって、米国の潜在敵国から保護観察国に移行した、と考えられます。)

(続く)