太田述正コラム#0610(2005.1.30)
<英国現代史の恥部(その2)>

 マウマウ団は白人入植者に対する全面的な蜂起を開始します。
 英国はこの1952年の時点で、既にインド・パキスタン・ビルマを独立させ、パレスティナを手放しており、マレーシアの独立も計画されていました。また、西アフリカ各地の独立についても検討が始まっていました。
 ですから、英国からすれば、こんな時期にどうして全面的な蜂起が起きるのか、理解できませんでした。野蛮の文明への挑戦だと切り捨てたくても、キクユ族はケニアの諸部族の中、或いはアフリカの黒人の中で最も「優秀」だとみなされていた(注4)だけにそうもいきません。

 (注4)一番白人入植者の進出の被害を受けたのもキクユ族なら、一番恩恵を被ったのもキクユ族だった。白人入植者の農園で一番沢山農業労働者として雇われたのはキクユ族であり、教育を身につけ、都会に出て良い暮らしをしたり、白人入植者のいない場所で、或いは白人入植者の手がけていない分野で自ら農業経営を行うキクユ族も出現していた。

 結局、マウマウ団とそのシンパは精神病に罹っている、ということになり、エルキンスによれば、1953年以降、英本国政府の黙認の下、植民地当局の特殊部隊がありとあらゆる暴虐行為を行ってキクユ族を殺戮し、畏怖するとともに、当時約150万人いたキクユ族のうち32万人(公式数字は7万人)が、「治療のために」裁判抜きで2年から6年間収容所に送られ、残りの殆どのキクユ族が、半ば閉ざされた村落に事実上収容された生活を送らされました。
 マウマウ団の蜂起が終わり、戒厳令が解除された1960年までの間に、英国政府によれば、95人の白人(うち民間人は32人)と約3,000人の黒人警官ないし兵士と約1,800人のキクユ族等の植民地当局協力者たる民間人が殺され、他方で11,503人のキクユ族不穏分子が「戦闘」で殺されたとされています。
 これらの数字は、植民地当局が、マウマウ団の蜂起に対処するためにキクユ族等の植民地当局協力者に自警団(Home Guard)を組織させたことにより、キクユ族同士の内戦的状況が出来したことを物語っています。
 この間KAUはマウマウ団に乗っ取られそうになり、マウマウ団に批判的であったケニヤッタまで植民地当局に逮捕され、KAUは生き残りをかけてマウマウ団排斥に血道をあげます。
 そして、1953年から56年までの間、拷問で「自白」させられた1,090人のマウマウ団員が微罪で、あるいは連座制が適用されて簡単な裁判で絞首刑に処されます。この数は、アルジェリア独立紛争の際にフランス当局によって死刑に処せられた独立派原住民の数の実に2倍にのぼります。
 しかしエルキンスは、植民地当局によって殺されたキクユ族等の数は少なくとも16万人に及ぶ、と指摘するとともに、英本国政府の黙認の下、植民地当局はこれら「蛮行」の証拠隠蔽のため、1964年にケニアが独立するまでに、大量の文書を消却した、と断罪しています。
ケニアのキクユ族等にとって不運だったのは、この時期の英本国政府が、植民地「解放」に理解のあったアトリー(Clement Attlee。1883??1967年。1945??51年首相(労働党))とマクミラン(Harold Macmillan(1894??1986年。1957??63年首相(保守党))の両政権に挟まれた、「帝国主義者」のチャーチル(Winston Churchill。1874??1965年。1940??45年、1951??55年首相(保守党))とイーデン(Anthony Eden。1897??1977年。1955??57年首相(保守党)。スエズ出兵の「失敗」で退陣)の政権であったことです。
 それにしても、この時期の英本国はどうかしていました。
 「蛮行」について新聞は黙して語らず、議会ではわずか二名を除き「蛮行」を取り上げる議員はいませんでしたし、関係閣僚も官僚も「蛮行」から目をそらし続けたのですから。
 ですから、マウマウ団のメンバーはテロリストではなく(ジュネーブ条約の保護を受ける)戦闘員なのかもしれない、というケニア植民地当局からの問題提起も一顧だにされることはありませんでした。

3 エピローグ

 独立後のケニアの歴代政府はKAUの政府であり、マウマウ団に対する犯罪集団・テロリストとしての位置づけが変わることはありませんでした。
 2002年に、独立以来ケニアで初めて非KAU政権が生まれ、ようやくマウマウ団を再評価しようという気運が生まれ、翌2003年にマウマウ禁止法が廃止され、殺害されたマウマウ団指導者達の埋葬場所を発見し、しかるべき墓所に埋葬し直そうという論議も行われるようになりました。そしてエルキンスとアンダーソンによる二冊の本の登場、とあいなるわけです。
 それにしても、わずか植民者32名が殺されただけなのにその(500倍から)5000倍以上の(1万数千人から)十数万人の原住民を殺戮するところ、かつまた原住民を一段劣った存在として動物視したり精神病者扱いしたりするところ、に英国の植民地統治、ひいては欧米の植民地統治の本質が現れていますね。
 改めて「優れていた」日本の植民地統治に胸を張りたくなってくるのは、私だけではありますまい。

(完)

http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1406225,00.html。2005年2月5日アクセス)

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