太田述正コラム#0612(2005.1.31)
<イラク暫定国民議会選挙(その1)>

1 始めに

 現在日本時間の1月30日深夜ですが、BBCやCNNのTV放送を見る限り、イラク暫定国民議会選挙では、いくつかのテロ攻撃にもかかわらず、全般的には粛々と投票が行われており、高い投票率が予想されています。
 とりあえずは安堵しました。
 この選挙を色んな角度から取り上げてみたいと思います。

2 俯瞰的考察

 (1)イラク
イラクで初めて選挙が行われたのは、当時の覇権国英国の占領下の1923年の選挙であり、憲法起草委員を選ぶための選挙でした。この時にはシーアの聖職者達がイラクの人々に対し選挙で投票することを禁じるファトワを出したものです。その81年後の今回の暫定国民議会選挙は、現在の覇権国米国の事実上の占領下での憲法制定議会の議員を選ぶ選挙であり、スンニ派の不穏分子がイラクの人々に対し選挙で投票することを禁じる声明を出しています。
この二つの選挙を取り巻く状況は瓜二つと言っても良いくらい似ていますね。
結局、英国は、イラクを1932年に独立させるのですが、それからもイラクを事実上コントロールし続けます。
 1954年の国民議会選挙は、イラクの史上初めての複数政党による選挙であり、野党も議席を獲得しました(注1)。しかし、選挙後最初の会期が始まって間もなく議会は解散され、野党は弾圧されます。これは、NATOの中東版のバグダッド条約機構にトルコ等とともにイラクを参加させるためでした。

 (注1)イラクには、この選挙の頃には独立した新聞が何紙かあり、司法制度も単なる政府の道具ではなかった。しかし、国民議会の議席には間接選挙で選ばれるものも少なくなく、重要な意志決定においては国王の意向が通るしくみだった。従って、当時のイラクは民主主義であったとは言えないものの、かなり寛容な体制であったことは間違いない。

 1958年にはクーデターが起こり、時の国王ファイサル2世が殺害され、英国が導入した王制は廃止され、英国はイラクに対する影響力を完全に失います。
 結局、1954年の国民議会選挙はイラクでの最後の複数政党による選挙になってしまったのです。今回の暫定国民議会選挙は、50年ぶりの複数政党による選挙だ、ということになります。
81年ぶりというか50年ぶりというかはともかくとして、イラクの歴史の遅々たる歩みには嘆息させられます。
 (以上、過去の歴史についてはhttp://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1400949,00.html(1月29日アクセス)及びhttp://www.nytimes.com/2005/01/30/international/middleeast/30democracy.html?pagewanted=print&position=(1月30日アクセス)による。)

 (2)アラブ世界
今度は、アラブ世界の中に今回のイラクでの暫定国民議会選挙を位置づけてみましょう。
そうするとこの選挙は、アラブ世界において、先般行われたパレスティナにおける事実上最初の完全に自由な選挙(しかも女性が選挙に参加)に続く、二番目の完全に自由な選挙、ということになります。
この二つの選挙を、それぞれイスラエルと米国等という外国勢力の占領下でしか行いえなかったところに、アラブ世界における自由・民主主義の憂うべき現状が現れています。
イラク以外のアラブ諸国は(特殊なレバノンはさておき)、いずれも非自由・民主主義的な体制下にあるので、イラクでの選挙が大きなインパクトをこれらの諸国に及ぼすのは必至です。
もう一つ留意すべきことは、今度の選挙の結果、多数(約60%)を占めるシーア派がイラクで権力を握るだろうという点です。非アラブのイスラム世界でシーア派が多数を占める国としては、イランとアゼルバイジャンがあり、どちらの国でも現にシーア派が権力を握っていますが、アラブ世界では初めて、ということになります。
当然これは、シーア派がイラク同様多数(約60%)を占めるバーレーンに影響を及ぼさざるをえませんし、少数のアラウィ派(Alawites)が多数を占めるスンニ派を支配しているシリアや、少数のベドウィンが多数を占めるパレスティナ人を支配しているヨルダン、に影響を及ぼすことになるでしょう。
 (以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1399370,00.html(1月28日アクセス)による。)

(続く)