太田述正コラム#0639(2005.2.23)
<男女平等問題をめぐって(続)(その2)>

3 サマーズ発言速記録公表後の議論

 (1)サレタンによる批評
 1月14日行われたサマーズ発言の速記録の公表を拒んできたサマーズが、ついに折れてハーバード大学のサイトに速記録を公表した(http://www.president.harvard.edu/speeches/2005/nber.html。2月18日アクセス)のは、一ヶ月以上たった2月18日でした。
 議論は、それ以降、サマーズの実際の発言に即した細かい議論に移っています。
 最初にサレタン(William Saletan。男性)による批評をご紹介しましょう。
 彼は、まず以下のようなサマーズ擁護論を展開します。

 ア サマーズは、女性の理学者等が少ないことを問題視している。
 イ サマーズは、家庭生活を犠牲にしてまで仕事に時間とエネルギーを投入することを求める米国社会に疑問を呈している。
 ウ サマーズは、女性の理学者等が少ない理由は、社会化過程だけに求めることはできない、と言っているに過ぎず、社会化過程に問題はない、と言っているわけではない。
 エ サマーズは、男女の生物学的違いについて、自分の娘(私の凡ミス。一人の娘ではなく、双子の娘)の例だけを挙げたかのように報道されたが、それは付け足しに過ぎず、彼は、イスラエルの何百ものキブツで何十年にもわたって行われた試み・・男女が全く同じ役割を分担する・・が失敗に終わった、という壮大な社会実験を挙げてその主たる根拠にしていた。

 次いで彼は、サマーズ批判論を展開するのですが、それを要約すると以下のようになります。

 サマーズは、男女の違いは、社会化過程の違いと生物学的違いによってもたらされたものだが、後者の要素の方が大きい、と主張したが、その主張の根拠を十分に示していない。
 サマーズは、全く異なった環境で育てられた一卵性双生児が、どちらも自閉症になったという事例を挙げ、自閉症が親子関係によって発症するという、それまでの考え方が誤りであったことが明らかになったとし、かかる事例が沢山出てきており、それまで社会化過程に原因があると考えられてきたことの多くは今や生物学的に説明されるようになってきている、と指摘した上で、だから男女の違いも、主として生物学的違いによって説明できるはずだ、と主張している。
 しかし、ここには明らかに論理の飛躍がある。
 一体どうしてサマーズともあろう人間がこんな脇の甘い議論をしたのか。
 サマーズが挑発的な議論を好む余り、社会化過程原因論を叩くことに目を奪われて、生物学的原因論について根拠がためをすることを怠ったからだ。
(以上、http://slate.msn.com/id/2113742/(2月18日初上梓。22日改訂版上梓。それぞれ2月19日と23日アクセス)による。)

(2)オルークによる批評
今度は、オルーク(Meghan O’Rourke。女性)による批評をご紹介しましょう。

サレタンが指摘しているように、サマーズが、「家庭生活を犠牲にしてまで仕事に時間とエネルギーを投入することを求める米国社会に疑問を呈している」ことはご立派だが、そもそも、女性に「家庭生活を犠牲に」するか否かに関し、完全な選択の自由が与えられているかのような議論の立て方をサマーズがしている点に問題がある。
男性と違って、女性は、「家庭生活を犠牲に」することを認めてくれる配偶者を見出すことは困難だし、子供を持ったり転勤したりする場合もいちいち思い悩まなければならない。第一、いまだに夫は、妻と家事を平等に分担しなくても当然だと思っている。このように女性が完全な選択の自由の享受を妨げられているのは、社会化過程に原因があるのだが、サマーズはそうは思っていないように見える。
それもこれも、サマーズが、社会化過程を親子関係に限定して狭くとらえているからだ。
親子関係ならぬ、集団的思い込みがいかに子供の社会化過程に影響を及ぼすかについて、次のような研究がある。
びっくり箱にびっくりしている9ヶ月の赤ちゃんのビデオを被験者に見せる。その赤ちゃんが女の子だと思うと被験者は怖がっていると思うのに対し、男の子だと思うと怒っていると思う。次第に女の子は、こういう時は怖がるものだと思いこみ、男の子は怒るものだと思いこむようになる。こういったことが積み重なって、男女の違いが形成される。
だから、数学や理学・工学といった学問や理学者等の職業は男性向き、という刷り込みが小さいときからなされることが、女性の数学等のテストの成績にも影響する、ということも考えられないわけではないのだ(注3)。
(以上、http://slate.msn.com/id/2113810/(2月21日アクセス)による。)

(注3)サマーズも、発言の後、猛烈な抗議を受けたこともあり、"My January remarks substantially understated the impact of socialization and discrimination, including implicit attitudes and patterns of thought to which all of us are unconsciously subject,"とハーバードの教官達に宛てた書簡の中で、彼の発言中の最大の問題点を認めている。

4 感想

 以上の議論を振り返ってみての感想は、まだまだ男女の違いについては、分かっていないことが多いのだな、ということと、米国においてすら、どうしても感情がからんでしまうため、議論が必ずしもかみあっていないな、ということです(注4)。

 (注4)ハーバード出身の三人の女性学者が共同執筆した論説(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A40693-2005Feb20?language=printer。2月22日アクセス)も関心ある方は参照されたい。

 いずれにせよ、かねてから累次申し上げてきているように、日本の女性は、「先進国」の中では最も差別され、虐げられている、と言って良いでしょう。
 しかし、日本は決して昔からそうだったわけではなく、平安時代までの女性や、その後も武家を除けば、女性の地位は決して低くありませんでした。
 米国から学ぶべきものは多くないけれど、学ぶべき数少ないものが大学の充実と、それと裏腹の関係にある、学問の発展です。
 米国における女性問題に関する学問的成果の一端を、サマーズ発言をめぐる議論を通してご披露しましたが、このことが、いささかでも日本の女性の地位向上に資すれば、と願っています。

(完)