太田述正コラム#9855(2018.5.30)
<眞壁仁『徳川後期の学問と政治』を読む(その83)>(2018.9.13公開)

 「古賀◎庵・謹堂、そして幕臣たちが〈政治的正統性〉の根拠とした「祖宗之御遺志」「乃志」は、一見するならば、徳川時代から王政復古を経て、「皇祖皇宗の遺訓」へと置換されたかに映る。
 しかし、前者が、体制内変革として、現行法・「祖法」批判のために、該博な知識に裏打ちされた「道理」による批判的精神を伴って言及されたとすれば、後者は、大衆的忠誠をつくり出し、帝国日本の国民統合と政治体制に対する一方的な献身を要求するために持ち出されたものに他ならなかった。
 前者の引照基準は、学問所内の沿革調所による史料編纂のように、史料による接近が可能な数世代前の歴史であり、それに対して、後者は悠遠の神話を含んだ世界であった。
 本書が徳川後期の「政教」に一筋の補助線を引き、「気」ではなく、もう一方の「識」の古賀家三代を今日に甦らせたとしても、現代日本で政論の正統性論議に参照され、あるいは立ち戻るべき「復初」の「創業」の精神とは、無論、そのいずれでもない。・・・

⇒「前者」は褒め過ぎ、「後者」は貶し過ぎ、であるとの思い(罪悪感?)があるのか、どっちもどっちだと唐突に言い出した眞壁に思わず苦笑してしまいました。
 今後、取り組む、ということなのかもしれませんが、眞壁が言うところの、第三の道、の輪郭を、朧気なりにでもここで示して欲しかったところですが・・。(太田)

 筆写本史料を思想分析の素材にする困難には・・・悩まされた。
 日本の思想史研究で江戸・明治期を扱うのに、古文書のくずし字も読めず、儒学者を扱うのに白文も自在に読みこなせず、文字どおり「よみかき」さえ満足にできない者が、果たして一人前の研究者になれるのか。
 膨大な関係史料群を前に、しばしば途方に暮れた。

⇒ここは感動的であり、眞壁に、心からご苦労様と申し上げたいですね。
 但し、「よみかき」に闊達になり過ぎたのか、彼の、本文中で旧字を用いたり、日常用いられないむつかしい熟語を用いたり、には悩まされましたが・・。(太田)

 「寛政異学の禁」が、〈政治的正統性〉(legitimacy)と〈教義の正統性〉(orthodoxy)との交点にあたることは、「正統」と「異端」のテーマを追究した丸山眞男氏をはじめ、多くの論者によって指摘されてきた。
 しかし、「禁」令以後の徳川儒学を、その実態を踏まえて思想史的にどのよう位置づけるかについては、いまだ検討の余地がある。・・・

⇒丸山のより根本的な江戸時代に対する視座は、自然と作為という対概念であった
http://lex.juris.hokudai.ac.jp/~imai/resume/0514.PDF
ところ、眞壁には、江戸時代後期に関して、この対概念を用いることの有効度、というか、有効性の有無、を検証して欲しかったと思います。
 彼が、「正統」と「異端」という対概念について、それを行うにとどまったことは、彼自身のためにも、残念で仕方ありません。
 私の見解では、そのこともあって、この研究を通じ、眞壁は、ついに実りある成果を出せずに終わっているわけです。(太田)

 学問所儒学の評価<にあたっては、>・・・統治体系の統合化を目指し、それに対する順応か反逆かの根拠が問われる〈政治的正統性〉とは別に、為政者の側にたつ政治主体が、政治判断にあたって政策や現行法の妥当性を問う〈政治的正当性〉という契機も無視できないのではないか。・・・

⇒「政治的正統性」や「教義の正統性」とは違って、眞壁は、「政治的正当性」に英単語を(添えるに添えられなかったのか、)添えていません。
 「政治的正統性」とかぶっているところのlegitimacy以外に、validity、rightfulness、rationale、propriety、reasonableness、correctness、justifiability、properness、conformity、fairness、rigor、cogency、genuineness、credibility、legality、lawfulness、といった、一連の英単語群が訳語として考えられる
https://ejje.weblio.jp/content/%E6%AD%A3%E5%BD%93%E6%80%A7
ところの、多義性を、日本語の「正当性」が有していることは、今まで気付かなかった興味深い事実です。
 このことは、ここでの眞壁の問題提起が、日本語に羈束された、意味のないものである可能性を示唆しているのかもしれません。(太田)

 丸山・・・氏によって「思想的停滞期」とされた徂徠学以降の近世後期儒学<が本当に停滞していたのか、との問題意識>が、本研究着想の出発点になっている。・・・」(505~506、645~648)

⇒眞壁には気の毒ではあるけれど、この点に関しては丸山の指摘は正しかったことが、本研究によって裏付けられた、というのが私の見解です。(太田)

(完)