太田述正コラム#651(2005.3.6)
<議論の呼びかけ>
1 始めに
 このところ、大変活発化していたHP(http://www.ohtan.net)の掲示板への投
稿が、日立のシリーズを書き出してから殆ど止まってしまったのは不思議です。
むろん、日立シリーズに関する投稿は一件もありません。
 そこで、どうしてか考えてみました。そして、私自身が論点を提起することに
しました。
 まず、なぜ投稿がないのか、です。
2 なぜ投稿がないのか
 (1)他人の紛争には近づかない
 しかし、投稿は匿名でできるし、私自身、自分と日立のどっちが正しいかを投
稿して欲しいなどとは毛頭思っていませんよ。それに私と日立の問題は、「紛
争」ならぬ、ボタンの掛け違いに終わった悲喜劇、だと思いませんか。
 (2)話が身近すぎ、生々しすぎてコメントしにくい
 読者のほとんどの方が企業にお勤めか企業と係わるお仕事をされているでしょ
うから、お気持ちは分かりますが、国際情勢とか、教育問題についてはコメント
できるが、自分自身に直接かつ切実に係わる問題についてはコメントしたくな
い、というのであれば、今までのコメントはゲーム感覚でやってきただけだ、と
いうことになりやしませんか。
 そうだとしても、別にそのことを咎めはしませんが、いささかさびしいですね。
 (3)国際情勢のコラムだと思っていた
 コラムで国際情勢を取り上げることが多いことは事実ですが、何も私は好きこ
のんで、無償で、読者の皆さんの知的暇つぶしや、読者の皆さんの外国に係わる
お仕事の情勢把握面や情勢予測面でのお手伝いをやってきたわけではありません。
 皆さんに、日本のあり方を見つめ、どうすべきかを考えていただきたいという
のが私のコラム執筆の目的です。国際情勢を取り上げることが多くなったという
のは、結果的にそうなったというだけのことです。
 いずれにせよ、私からすると、国際情勢には関心があるが、国内のことには関
心がない、という方の思考回路が理解できません。
 (4)不得意な国内問題など取り上げるな
 私の生い立ちや勤務歴からして、私自身、国際情勢の方が国内問題よりも明る
いことは否定しませんが、私よりももっと日本を知らない外国人が日本について
行った批評が結構正鵠を射ていることがあることを考えれば、私にも十分発言権
はあると自分では思っています。
 私が思い上がっているかどうかは、読者の皆さんのご判断にまかせます。
 (5)国内問題なら別のフォーラムがいくらでもある
 まあ、そんな堅苦しいことをおっしゃらなくてもよろしいではありませんか。
 次に、日立シリーズから、私ならいかなる論点を提起するか、まとめてみました。
 それ以外にも沢山ありそうですが・・。
3 日立シリーズにおける論点いかん?
 (1)大企業の弱者いじめ
 私の場合は個人で口利きをやったわけですが、企業の場合でも、中小企業が大
企業と取引したり、大企業の下請けになったりするケースで、商慣行と称して契
約書をつくらないことがいまだに横行している、と聞きます。
 下記((2))を考慮すると、これは極めて問題ではないでしょうか。
 (2)紛争処理手段の不備
 日本の民事裁判制度は極めて問題があります。(刑事裁判にも問題があるが、
立ち入りません。)
 精密司法といって、ことこまかに係争事案に係る経緯や原告被告それぞれの人
柄(社格)を見極めようとし過ぎ、時間がかかり、紛争をこじれさせてしまう傾
向があります。これでは結果の予測もつきません。その挙げ句、裁判官は和解勧
告をして裁判を中途で投げ出してしまう(?)ことが頻発します。
 つまり、裁判はできるだけ避けた方がよい、ということです。
 ところが、裁判以外の紛争処理手段が、日本の社会の変化とともに急速に失わ
れつつあります。今回、私が試みた紛争処理手段も十分機能しませんでした。
 だから、フィクサーや暴力団(、そして政治屋)がますます横行しています。
 (3)官公需
 官公需調達に係るルールが依然透明性を欠いています。
 いまでも、公共事業では官主導の談合が続けられており、企業の規模いかんに
かかわらず、OBの受け入れにしのぎを競っています。企業側の自主的談合もなお
盛んです。当然調達価格は水増しされます。
 このようなメカニズムは、官公需に係わる企業の側に品質と価格をめぐる自助
努力を怠らせがちであり、法令遵守の精神も萎えさせます。本来の意味での営業
能力が向上するはずもありません。
 日立は官公需依存型大企業の典型ですが、私への対応を見る限り、重篤の官公
需依存症候群にかかっている感は否めません。
 (4)吉田ドクトリン
 結局、この根源的な問題に戻ってきてしまうのですが、吉田ドクトリンの下、
日本の官僚機構が志を失い、戦略的視点を放擲して漂流している(官僚の生活互
助会化している)ことが、公立学校の学童化をもたらし、更に(官僚機構の一環
である)裁判所の機能障害をもたらし、あるいは官公需依存大企業を始めとする
日本の企業を腐食させてきている、という面があるのではないでしょうか。
 こんな志のない社会で、地域等で紛争解決にあたる世話役(無私の人格者であ
ることが望ましい)が払底するのは当然ではないでしょうか。