太田述正コラム#9895(2018.6.19)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その3)>(2018.10.3公開)

 「神話は「いにしへ」<(注3)>の出来事を語るものである。

 (注3)「経験したことのない遠い過去。・・・<或いは、>経験したことのある近い過去。・・・
 「いにしへ」は遠い昔・以前(=近い過去)のように時間の経過を意識しているが、類義語の「むかし」は、漠然とした過去(=ずっと以前・かつて)を表している。」
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%B8

 それに対して、昔話は「むかし」の出来事を語るものである。・・・
 「いにしへ」の語源は「去(い)にし辺(へ)」で、「かつて通った所」の意味である。
 そこから一本道を通ってきたところに「今」が存在している。
 「いにしへ」は「今」に続く遠い過去である。・・・
 「今」あること、「今」ある物を保証する神話は「いにしへ」に属しているのである。・・・

⇒「注3」・・用例が付いている・・から見る限り、「いにしへ」には「近い過去」としての用法もあるようであり、松本のこの説明を鵜呑みにはできそうもありません。(太田)

 神話<(注4)>とは「共同体が経験した事実」「共通の祖先神を通して人々が共有している過去<(注5)>の経験」なのである。

 (注4)「神話(・・・Myth、Mythology)は、人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある。・・・
 神話は、古代ギリシアにおいてはミュトスとして伝えられ、ホメーロスの『イーリアス』『オデュッセイア』、ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』などのように、霊感を受けた詩人が神々の行為を権力者に語る歌の形式となった。これらは神が人に真実を語る力関係の基、聞き手である強者・男性的価値観に副うようにつくられていた。それに対しロゴスは説明する言葉であり、弱者が強者に使う、多少の嘘を含みながらも説得力を持たせることを目的としていた。
 これが、現在用いられるミュトス=真実ではない「虚構」、ロゴス=知性や理性に裏打ちされた「真理」へ逆転した転換点は、ギリシア民主制の誕生にある。市民が話し合いながら政治を進める体制では、必要な議論は神がかった詩人の言葉ではなく、理性や知性を働かせ、相手を説得する言葉でなければならない。これを背景に、ロゴスこそが真実という概念が固められ、相反してミュトスが虚偽の意味合いを持つようになった。・・・
 <他方、>日本・・・には、・・・<かつて>「神話」という語はな<かった>。<「神話」>は明治20年代に、英語の「myth」を「神話」と日本語に翻訳した事で用いられる様になった翻訳漢字であり、<支那>や朝鮮の古典にも<出てこ>ない言葉である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 (注5)「過去」という言葉(概念)も一筋縄ではいかない。
 「大森荘蔵(1921~1997)<(コラム#990、7648)>は<・・その直前に引用されているアウグスティヌスの主張と同じように私には思えるが・・その著作の>『時間と自我』において、過去は「想起という様式」で振り返られる中にのみ存在する、と述べ、人々が“想起とは過去経験の再現または再生である”と思っているのは間違いだ、と指摘する。想起という様式が過去なのであって、他に過去があるわけではない、とする。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB

⇒「注4」は、要するに、かつての日本には、神話という概念がなかった、と指摘しているわけであり、それは、日本人達が、神話を事実だと認識していたからだ、ということではないでしょうか。
 そうだとすると、神話群には食い違いがある場合があるところ、それは、過去の事実について、異なった人々は、それぞれ異なった内容を記憶し、伝承してきたからだ、とかつての日本人達が受け止めていたのでしょうね。
 松本には、こういった風に、ギリシャ等と比較する視点から、日本の神話論を展開して欲しかったところです。
 なお、この関連で、かつての支那や朝鮮半島でも、日本同様、神話に相当する言葉がそもそも存在しなかったのかどうか、知りたいところです。(太田) 

 それに対して「むかし」の語源は「向(む)か岸(し)」で、「今」と反対の遠い過去である。
 「昔はこうだった」という時、そこには「今は違う」という意味が込められていよう。
 「むかし」と「今」はつながっていないのだ。・・・」(26~27)

(続く)