太田述正コラム#9917(2018.6.30)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その11)>(2018.10.14公開)

 「・・・稲羽(いなば)の素兎<(注22)>(しろうさぎ)の条では、傷の治療が重要なテーマとなっている。

 (注22)「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)とは、日本神話(古事記)に出てくるウサギ、または、このウサギの出てくる物語の名。『古事記』では「稻羽之素菟」(稲羽の素兎)と表記。」シベリア、インドネシア、アフリカに類似の民話がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E

 傷や病気の治療ができるかできないかは、国を治める者としての資質の問題に関わっていること、西郷信綱<(注23)>が説く通りである(『古事記の世界』岩波新書)。」(76~77)

 (注23)1916~2008年。「大分県生まれ。東京帝国大学英文科に進学したが、斎藤茂吉の短歌に傾倒して国文科に転じ、1939年3月卒業。丸山静とともに「アララギ」派の短歌に傾倒する。戦後、鎌倉アカデミアの創設に参加し教授、その後横浜市立大学教授を長く務め、定年後法政大学教授、この間ロンドン大学教授も務めた。
 最初の著作『貴族文学としての万葉集』では、防人歌、東歌(あずまうた)など庶民の歌とされていたものが、貴族歌人の仮託でしかないと論じた。その後国文学の世界ではある程度受け入れられている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E4%BF%A1%E7%B6%B1

⇒西郷の防人歌、東歌等貴族歌人仮託説を、西郷のウィキペディア筆者は、典拠抜きで「国文学の世界ではある程度受け入れられている」としていますが、万葉集のウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86
にはそれを示唆するような記述すら皆無です。
 さて、松本は、統治者には傷・病治癒力が求められたとしていますが、「どのような宗教でも、・・・人間の病苦に関する教義による説明と、・・・それを「癒す」ための具体的な方法があ<り、>・・・かつて宗教と医療は同じ社会的機能をもっていた」
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/121123religious_medicine.html
とはいえ、かつては古今東西のあらゆる(宗教家や呪術師でないところの)統治者もまた医者と同じ社会的機能を担っていたとまでは言えない(注24)のではないでしょうか。

 (注24)「西アフリカのファン人たちの部族王は、首長であると同時に呪医(medicine man)であり、かつ鍛冶職にもついていた。また西ポリネシアのトンガでは、ある種の肝臓の病いと瘰癧の原因を、王=首長の身体や彼の持ち物に触れた後に、手を清浄にする儀礼を怠ったせいであると考えられていた。そのような病気に罹ったものは、王の足が患部に触れることによって治療したといわれている。・・・<また、>13世紀から18世紀という比較的長い間、<地理的意味での欧州の諸>国王――とりわけイギリスとフランスの王たち――<は、>・・・“手当てによる病気の治療”・・・<を>行…った“」
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/000816he04.html

 日本においては、平安中期の貴族社会において、「医師の医療による治療と、験者<(げんざ)>・陰陽師<(おんみょうじ)>の呪術による治療との、いずれもが必要とされていた
https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/1/0/1_KJ00006476848/_pdf/-char/ja
ようですが、このことが示すのは、当時、既に、天皇はもとより、皇族達や貴族達にも、傷・病治癒力などない、と考えられていた、ということです。
 結局、オホナムチ(オホクニヌシ)に傷・病治癒力があったとするならば、それは、オホナムチが神だったから、ということになるのではないでしょうか。
 歴代天皇は、現人神達ではあっても、神達のような傷・病治癒力を失った、つまりは、呪力を失った、ところの存在であった、ということになりそうですね。
 よって、松本の、傷・病治癒力の有無は「国を治める者としての資質の問題に関わって<くる>」との指摘は、一般論としては成り立たないばかりではなく、日本には全く当てはまらない、のではないでしょうか。(太田)

(続く)