太田述正コラム#9925(2018.7.4)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その15)>(2018.10.18公開)

 「・・・オホクニヌシは高天原<(注35)>を追われたスサノヲの子孫であり、スサノヲの力を継承し、その指令に従うことで「大国主」となったのだ。

 (注35)「『古事記』冒頭の訓注には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天は「アマ」と読むよう明確に指定がされている。通常は、「たかまがはら」という格助詞「が」を用いた読み方が一般的であるが、この読み方が広まったのは歴史的には新しい。これは、「たかまのはら」の連体格の助詞「の」が、同じく連体格の助詞「が」へと転訛したものである。「たかまがはら」は、中世後半ころから近世に使用例がみられ、江戸時代の庶民文化、すなわち読本や洒落本など戯作文学の中で広まり、やがて一般化されていったものと考えられる。上代文学では、「たかまのはら」もしくは「たかあまのはら」が正当な訓とされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%8E%9F

 だから、自らの力で高天原に<届く>氷木(千木)が聳える宮殿・・・など造れるゆえんはないのだ。

⇒「届く」が抜けているのは、ちょっと大き過ぎる校正ミスですね。(太田)

 それゆえにオホクニヌシは、国譲りの命令を受け入れる交換条件として、高天原に頼る形でしか<、この指令を>実現することができなかった。
 こうして、スサノヲの<四つの>指令・・・全てを遂行した瞬間に、国土の全権を皇祖に譲り渡すことになった。・・・
 古事記や日本書紀という史書が・・・誰も聞いたことがない新しい<神話>を作ったり、皇祖神だけが活躍して一から十まで国を作り上げたというような〈神話〉を創作しても、それは決して説得力を持たないだろう。
 そこで、民衆の間で伝承されていた神話の型を用いたり、地方の神々の信仰や神話を利用したのではないだろうか。・・・

⇒松本によれば、このようにして、当局が、周到にストーリーをでっちあげた、というわけですが、そうであるならば、一体どうして、古事記と日本書記と風土記とで、相互に微妙に異なるストーリーにあえてしたのか、改めて、不思議に思えてなりません。
 ひねって考えれば、その方が、人工臭が薄まる、自然に見える、と当局が読んだ、ということですが、まさかねって感じですし、そもそも、どうして3種類も同じような「史書」を作ったのか・・風土記については「作らせた」と書くべきか・・、という根本的な疑問に立ち戻ってしまいます。(太田)

 <さて、>古事記の冒頭に登場する「別天(ことあま)つ神」<(注36)>・・・は五柱いたが、その中でもタカミムスヒ<(注37)>とカミムスヒ<(注38)>は、以後・・・たびたび現れて、国作りや天孫降臨を指令したり、初代神武天皇を支援するなどの活躍を見せる。

 (注36)「『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神)として成って、そのまま身を隠したという。
 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) – 至高の神
 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)・・・
 神産巣日神(かみむすひのかみ)・・・
 その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われた。この二柱の神もまた独神として身を隠した。
 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)- 活力の神
 天之常立神(あめのとこたちのかみ)- 天の神
 これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼ぶ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E
 (注37)タカミムスビ。「『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・・・『日本書紀』では高皇産霊尊・・・と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。
 別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93
 (注38)カミムスビ。「『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊、『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93

 文字通り「別格の天つ神なのだが、・・・難しいのは・・・古事記〈神話〉の冒頭・・・<で>「身を隠す」・・・<こと>の解釈である。・・・
 いまだに定説を見ないと言ってよい。・・・
 それがなぜ難問なのかと言えば、タカミムスヒとカミムスヒがこの後・・・しばしば登場するからである。」(90~91、93~95)

⇒「周到にストーリーをでっちあげた」はずなのに、「注36」に出てきますが、当局が、「うましあしかびひこぢのかみ」と「あめのとこたちのかみ」という、たった一度だけ登場し、しかも、何もしないところの、神2柱を登場させたことなど、一体、何やねん、何を考えとるんや、と言いたくなってしまいます。(太田)

(続く)