太田述正コラム#677(2005.4.1)
<ライブドア・フジサンケイグループ「抗争」(その3)> 
 高度成長「当時の日本は資本主義でも社会主義でもないが、計画経済ではなく自由主義経済」だった(コラム#42)と私は考えていますが、今でも日本の経済体制は、自由主義経済(非計画経済)ではあっても資本主義ではないのでしょう。
 もっとも、「資本主義」=「個人主義」=「イングリッシュ(アングロサクソン)・ウェイ・オブ・ライフ」(注5)と言ってもよいのであり、資本主義経済体制の国は世界の国々の中で少数派です。他方、北朝鮮やキューバなどのレトロな計画経済体制を維持している国はもっと少数です。となると、欧州諸国を含め、世界の大部分の国は、「資本主義もどき」の経済体制の国ということになるのであって、日本は多数派に属するわけであり、いたずらで劣等感に苛まれる必要はありません。

  • (注5)後の方の等号が成り立つことについては、以前(コラム#88、89で)説明した。前の方の等号が成り立つことの説明はまだ行っていない。もっとも、資本主義は人間の労働力を含むあらゆるものが商品化される経済体制だが、労働力が商品化されるためには、個々の人間があらゆるしがらみから解放されている必要がある、と考えるだけで、資本主義と個人主義が密接不可分な関係にあることが直感的に分かるはずだ。

 (4)吉田ドクトリン
  ア 始めに
 思い起こせば、日本型経済体制は、数多ある「資本主義もどき」・・人間関係がモノをいう自由経済体制・・の中で、最もパーフォーマンスが高く、同時に比較的腐敗が少ない(注6)、世界に冠たる経済体制でした。

  • (注6)人間関係がモノをいう自由経済体制は、一般には、合理的経済計算になじまず、かつネポティズム的腐敗がはびこることから、「資本主義」諸国よりはるかにパーフォーマンスが低い。ところが、日本型経済体制は「資本主義」並にパーフォーマンスが高かった。これは、日本には大家族制ないし部族制がなく階級もなく、実力主義が貫徹しており、また日本が基本的に単一民族によって構成され、更に日本人が世俗的で宗派的発想から自由である、という、世界で数少ない国であったおかげだろう。初期の日本型経済体制下の日本には、conglution(癒着)はあっても、corruption(腐敗)はなかったといってよい。

 その日本型経済体制がダイナミズムを失い、かつ官も大企業も不祥事にまみれるようになったのはどうしてなのでしょうか。
 いつも馬鹿の一つ覚えのようで恐縮ですが、吉田ドクトリンのせいです。
 日本型経済体制は、総力戦遂行のための経済体制であり、先の大戦に向けて、安全保障上の必要性から構築された経済体制であるところ、敗戦後、吉田ドクトリンの下で安全保障を米国に丸投げしてしまった瞬間から、この経済体制はいわば「魂」を失い、ここから、日本の政治経済中枢の脳軟化症発症とその重篤化、そしてとめどのない堕落が始まったのです。
 今にして思えば、戦後日本は、吉田ドクトリンを一刻も早く廃棄するとともに、軟着陸的に日本型経済体制の平時化を図らなければならなかったのです。しかし、戦後日本の政治や経済のリーダー達は、これらを二つながら怠ったまま、ついに冷戦時代の終焉を迎えてしまうのです(注7)。

  • (注7)平時化した日本型経済体制とはいかなるものかを構想する力は私にはない。しかし、それが「資本主義」ではないことは確かだ。

 吉田ドクトリンは、ある国が自発的に(安全保障を他国に全面的に依存することによって、その)他国の保護国になるという世界史上他に例を見ない国家戦略です。
 しめたとばかりに宗主国米国は、一貫して保護国日本に対し、自らの世界戦略への同調を「強い」、コストシェアリングや米国債の購入等を「命じ」、自らの世界戦略及び財政・金融の便利屋として日本を使ってきました。
 その見返りに、日本は(安全保障を与えられるとともに)日本型経済体制下の高度成長と保護主義の維持を許されたのです。
 ところが冷戦時代末期には、米国は日本の経済力を脅威に感じるようになります。
 そこでそのころから米国は、日本が将来米国から「独立」する時に備えて、日本の経済にマクロとミクロの両面にわたって掣肘を加える(harnessする)ための布石を打ち始めたのでした。
 マクロ的布石とは、日本のバブルを引き起こした上でバブルをはじけさせて日本型経済体制のダイナミズムを奪ったたことであり、ミクロ的布石とは、グローバルスタンダードと称して米国スタンダードを日本に次々に押しつけて日本型経済体制を機能障害に陥らせたことです。
 しかも念が入ったことに、米国は、これらが米国の布石によるものではなく、自分達のイニシアティブによるものであると日本人に思わせるように仕組み、それに成功したのです。

(続く)