太田述正コラム#9983(2018.8.2)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その10)>(2018.11.17公開)

 「第四部会(思想文化)委員の阿部真之介<忠15)>(毎日新聞社取締役)は、大正から昭和戦前期にかけて「東京日日新聞」などで活躍した舌鋒鋭い自由主義者の言論人である。

 (注15)眞之助(1884~1964年)。「埼玉県熊谷市 で生まれ、・・・二高を経て・・・東京帝国大学文学部社会学科を卒業。大学卒業後、満州日日新聞社・・・、東京日日新聞・・・大阪毎日・・・東京日日・・・。・・・京都支局長、政治部長、学芸部長、編集局主幹、取締役主筆、毎日新聞社顧問ほかを歴任。・・・1944年定年退した後、政治評論家・・・<戦後、>NHK会長在職中に急死した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E7%9C%9E%E4%B9%8B%E5%8A%A9

 のちにNHK(日本放送協会)会長にも就任している。
 阿部は戦争責任問題に関連して、当時の国民感情を巧みに表現する。
 「此の戦争は悪くなかった、敵が悪いのだけれども、負けたから。
 皆悪いことを日本が背負って居るのだ、と云うことで、本当に後悔して居る人が極めて少い」。
 阿部にとってはこのような国民感情を改めることが調査の目的だった。

⇒この調査が、かかる国民感情を改めさせたどころか、改めさせた要因の一つでさえなかったことを我々は知っています。
 (こんな調査が行われた、ということ自体を知らない人が殆どであることだけ指摘すれば足りるでしょう。)
 私は、陸軍関係者達の沈黙だ、と思っているわけですが、誰かがこのことを「証明」してくれるのを願っています。(太田)
 
 阿部は幣原に求める。
 「此の調査は成るべく大勢の人に成るべく早く見せて、実に我々はくだらない戦争をしたと云うことを徹底させる必要がある」。・・・

⇒対英米開戦時には、まだ阿部は毎日新聞に取締役として在籍していた以上、「此の戦争は悪くなかった、敵が悪いのだ」と、宣伝にこれ努めていたところの、毎日新聞を含む日本の新聞界(注16)が、かかる国民に対する宣伝を嘘だと思いながらやったのか、それとも本当だと思ってやったのか、いや、本当だと思いこれを更に煽ったのか、等、まずは、自身、そして、新聞界、に係る責任の有無について語った上で、反省すべきところを反省する弁を述べてから、阿部は、(それでもなお気力が残っていたとすればですが、)おもむろに、「国民感情」について論じるべきでした。

 (注16)「新聞は政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」という形で糾弾し、対外強硬論を煽り、開戦を主張するなど、国民を開戦支持に導く役割も果たした。・・・
 検閲の元締めである情報局は戦争後期、緒方竹虎や下村宏など朝日新聞や日本放送協会(NHK)の元幹部が総裁を務めている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB

 もとより、井上が、その部分を端折った可能性だってないわけではありませんが・・。(太田)

 斎藤が国務大臣になった・・・
 <それ>は、幣原内閣のつぎに、吉田(茂)内閣が成立したからである。
 内閣の交代によっても戦争調査会はつづく。
 総裁も幣原で交代しな<かった>。・・・
 第二回部会長会議の議論を主導したのは、幣原の意を体(てい)した青木<得三>長官である。
 青木は第一次世界大戦後から敗戦までの長い期間を対象とする原因の追究を強調する。」(45~46、52~53)

⇒繰り返しますが、幕末まで遡らなければならなかったのです。(太田)

(続く)

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