太田述正コラム#10324(2019.1.20)
<皆さんとディスカッション(続x3958)>

<太田>(ツイッターより)

 「尾畠さん、東京から大分1320キロ徒歩帰宅へ…
 「人に優しく己を小さく。これを私は常に心がけています」…
 大分に到着後も休むことなく、太平洋戦争末期の沖縄戦で多くの人が亡くなったガマ(洞窟)で遺骨収集を行う。
 「同じ日本人で70年以上眠り続けている。その人たちの遺骨を出してあげたい…」
 「まっすぐ自分に正直に生きてほしい。
 自分に自信を持って、正しいと思ったことを貫いて。…」…」
http://news.livedoor.com/article/detail/15894499/
 まっこと、日本に数多いるところの人間主義者達の中でも亀鑑に供すべき人物である。
 私も、尾畠さんに一歩でも近づけるよう努力したいけど、とてもじゃないが、かなわんわー。

<太田>

 [スライド#4]<の解説の後半部分です。>

 スライドの右側ですが、一目瞭然だと思うので、そこに登場するところの、それぞれ新しい統治システムを構築した、最高権力者達のプロフィールをご紹介しましょう。

 最初に、摂関政治を始めた藤原道長(966~1028年)です。

 「1016年・・・三条天皇は譲位し、<新天皇>が即位した(後一条天皇)。道長は摂政の宣下を受けた。・・・
 政敵であった藤原実資でさえ・・・今の太閤(=道長)の徳は帝王のようで、世の興亡はその思いのままである・・・と評<するに至った>・・・。
 翌・・・1017年・・・道長は摂政と藤原氏長者を嫡男の頼通に譲り、後継体制を固めた。・・・
 <彼は、>弓射に練達し<ていた>。
 <また、>文学を愛好し・・・紫式部・和泉式部などの女流文学者を庇護し、内裏の作文会に出席するばかりでなく自邸でも作文会や歌合を催したりした。・・・
 <更に、>仏教(特に浄土教)に対して信仰心が厚く、最期は自らが建てた法成寺阿弥陀堂本尊前で大勢の僧侶に囲まれ極楽浄土を祈願する儀式の中で臨終の時を迎えたとされる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7

 次に、院政を始めた白河法皇(1053~1129年)です。

 「<小さい頃、>今様(民謡・流行歌)などを好み、よく遊んでいた<という。>
https://senjp.com/go-ten/
 <天皇に即位後の彼>は当初から強い権力を有していたわけではな<く、>・・・親政期及び院政初期には摂関政治と大きな違いはなかった・・・
 [<但し、>「神威を助くるものは仏法なり。皇図を守るものもまた仏法なり。」との考えを披瀝し、仏教を保護して統治する伝説上の金輪聖王(転輪聖王)にならって・・・1076年・・・<天台宗?の>法勝寺<(ほっしょうじ)>を建立し<ている。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%8B%9D%E5%AF%BA
 また、<1086年に実子の堀河天皇に譲位した後、>1095年、・・・院庁の警備をするために北面の武士をお<き、これが>北面の武士となった源氏や平氏が力を持つようになる<契機となった>。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/rekisizinbutu/sirakawatennou.htm ]
 <そして、>1096年・・・には鍾愛する皇女<たる>内親王の病没を機に出家し、法名を融観として法皇となっ<ている。>・・・
 <もともと、天皇親政論者であったところの、彼が、いわゆる、院政を開始>したのは、[1099年の関白の<藤原>師通の急逝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%B8%AB%E9%80%9A ]
による摂関家内部の混乱と、それに続く堀河天皇の崩御<(1107年)>、その皇子で白河法皇の孫である・・・鳥羽天皇の即位<礼(1108年)>が契機であったと考えられている。・・・
 <こうして>政治的権限を掌握した白河法皇は、受領階級や武家出身の院近臣を用いて専制的な政治を行った。特に叙位・除目に大きく介入し、人事権を掌握する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B2%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87 

 今度は、幕府を開いた源頼朝(1147~99年)です。

 「生涯において前線で戦うことは少なかったが、石橋山の戦いでは鎧武者を一撃で倒すなど叔父源為朝譲りの強弓を披露している。
 慈円と親交があって和歌を詠み、・・・新古今和歌集<への>入撰<歌もあ>る。・・・
 <また、>法華経の写経や埋経、暗誦(あんじゅ)などを行い、「法華八幡の持者」と称された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D

 その次は、(有力説によれば)執権制度の創設者である北条泰時です。

 「泰時は・・・頼朝から政子にいたる専制体制に代わり、集団指導制、合議政治を打ち出した。・・・「両執権」と呼ばれる複数執権体制をとり、次位のものは後に「連署」と呼ばれるようになる。泰時は続いて・・・有力御家人代表と・・・幕府事務官僚などからなる合計11人の評定衆を選んで政所に出仕させ、これに執権2人を加えた13人の「評定」会議を新設して幕府の最高機関とし、政策や人事の決定、訴訟の採決、法令の立法などを行った。・・・
 <また、>3代将軍源実朝暗殺後に新たな鎌倉殿として京から迎えられ、8歳となっていた三寅を元服させ、藤原頼経と名乗らせた。頼経は・・・1226年・・・正式に征夷大将軍となる(実朝暗殺以降6年余、幕府は征夷大将軍不在であった)。・・・
 <そして>、これによって鎌倉殿=征夷大将軍は実権を奪われて名目上の存在になった。もっとも、・・・評定衆の会議で決められた事は常に・・・征夷大将軍に報告し、・・・幕府の最高権威はあくまでも・・・征夷大将軍であることを強調し続け、泰時本人が主従関係の模範になろうとした。・・・
 沙石集は泰時を「まことの賢人である。民の嘆きを自分の嘆きとし、万人の父母のような人である」と評し<ている。>・・・
 貞永元年(1232年)・・・全51ヶ条からなる幕府の新しい基本法典が完成した。はじめはただ「式条」や「式目」と呼ばれ、後に裁判の基準としての意味で「御成敗式目」、あるいは元号をとって「貞永式目」と呼ばれるようになる。・・・
 <彼には、>寛喜の飢饉の際、被害の激しかった地域の百姓に関しては税を免除したり、米を支給して多くの民衆を救ったという逸話がある。この際には民衆を慮って質素を尊び、畳、衣装、烏帽子などの新調を避け、夜は燈火を用いず、酒宴や遊覧を取りやめるなど贅沢を禁止した。
 晩年に行った道路工事の際には自ら馬に乗って土石を運んだ事もある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B3%B0%E6%99%82

 最後は、得宗制の事実上の創設者である北条時頼ですが、後程、日本の最高権威者/最高権力者の3事例の1つとして、ご説明するので、そちらに譲ります。

<太田>(昨日)

 第三回資料の構成案を、大急ぎで考えてみました。

[スライド#3]:島津斉彬コンセンサス・・横井小楠コンセンサスとの関係を含む
[スライド#4]:明治維新–島津斉彬コンセンサスの実行(第一フェーズ)・・将軍継嗣問題、倒幕
[スライド#5]:島津斉彬コンセンサスの維持・普及・・山縣有朋と福澤諭吉、帝国陸軍(幼年学校)とアジア主義
[スライド#6]:昭和維新–島津斉彬コンセンサスの実行(第二フェーズ)・・杉山元構想、その実現
[スライド#7]:杉山元、及び、彼の構想実現に協力した日本人達
[スライド#8]:中国共産党(毛沢東)・・日本文明総体継受を目指した最初の有力外国勢力、杉山元構想の実現に全面協力
[スライド#9]:戦間期の中国の指導者達
[スライド#10]:習近平の戦略、トランプ、日本、そして世界

 USさんの方で既にお考えになっていたものがあれば教えていただきたいし、いずれにせよ、第二回資料作成が済んで落ち着かれたらコメントをいただければ、と思います。
 USさん以外の皆さんは、それまでにも、どしどしコメントを。

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 とにかく、具体的な対韓制裁を!↓

 「対日関係は悪化の一途だが…金融不安の韓国の若者が日本を目指す滑稽さ・・・」
https://news.infoseek.co.jp/article/00fujieco1901180010/

 フランスのエリート、どうしょうもないほどアタマ悪いね。↓

 「仏政府、日産・ルノー経営統合の意向 持ち株会社軸に・・・」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40237720Q9A120C1905M00/

 建川美次参謀本部第1部長と板垣征四郎関東軍高級参謀が、杉山元陸軍次官の指示に従って整斉と動いたってことさ。↓

 「・・・建川は関東軍司令官に宛てた陸相の封書を持っている。それが軍司令官の前で開かれたら、一兵も動かせなくなるだろう。
 18日午後、板垣らは満州入りした建川を出迎え、奉天駅近くの料亭に連れ込んで酒席でもてなした。建川は、中止の説得は明日でもできると注がれるままに杯を傾けた。やがて板垣らは去っていき、建川はそのままいびきをかいた。
 その夜、昭和6年9月18日午後10時20分、突如として起こった爆音と砲声に、建川は飛び起きた--。・・・」
https://special.sankei.com/f/society/article/20190120/0001.html?_ga=2.238713536.1731203465.1547772900-194765844.1544486342

 チョイ面白い話も載っている。↓

 12 Everyday Things That Were Invented With a Completely Different Purpose.・・・
https://bestest.info/12-everyday-things-invented-completely-different-purpose/?utm_source=Bestest_desk&utm_medium=taboola&utm_term=slate-homepage&utm_content=57380941

 「嘲笑するのは日中」の間違い。↓

 「ソウル大パク・チョルヒ教授「韓日が疎遠になれば笑うのは中朝」・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/01/18/2019011880126.html

 前段は私の言う一族郎党命主義だが、後段は、太田コラム読んでなくたって説得力ないでしょ。↓

 「・・・「中国社会は『宗族(そうぞく)』という父系の血縁集団を昔から大事にしてきました。一族から優秀な人間を科挙(かきょ)(高級官吏登用試験)に合格させるために物心両面で応援し、偉くなれば今度は不正もいとわず一族の面倒を見る。宗族こそが重要なのであって国家や公(おおやけ)といった概念はありません」
 物心両面で応援するための一族の財産が「義田(ぎでん)」、教育機関が「義塾」、宗族間の争いは「械闘(かいとう)」と呼ばれた。出世した人間が一族に利益や権益をもたらさなければリーダー失格とみなされ、「悪」となる。小中華の韓国の歴代大統領が自身や一族の犯罪に手を染めるのも同じ論理であろう。
 宗族は、共産主義になっても生き残る。毛沢東は、宗族を潰すべく、荒っぽい農村改革に乗り出すが、社会が機能しなくなり、結局「人民公社」が宗族に取って代わっただけだった。「圏子(チェンズ)」と呼ばれる利益共有集団が構成され“一族や内輪の繁栄のみが大事”という伝統は脈々と続く。習主席のキャンペーンも実は宗族同士の権力争い(械闘)に他ならない。つまり、宗族の原理が共産党政権を支配したのである。・・・」
https://www.sankei.com/life/news/190113/lif1901130017-n1.html

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <人民網より。
 日中交流人士モノ。↓>
 「程永華駐日大使がハイセンス日本法人を視察・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2019/0119/c94473-9539449.html
 <ここからは、サーチナより。
 定番。↓>
 「なぜ日系車のエンジンは優れていて、中国は追いつくことすらできないのか・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1674797?page=1
 <おありがとうござんす。↓>
 「労働力不足の日本、「今後受け入れる移民の大半は中国人になるだろう」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1674798?page=1
 <よー分かっとるね。↓>
 「今回のサッカーアジア杯、日本を含め「ド本命」の優勝争いか 中国・・・ないない!・・・中国メディア・東方網・・・」
http://news.searchina.net/id/1674801?page=1
 <ま、しゃーないね。↓>
 「訪日中国人は10年で8倍に! だが「訪中日本人が増えていないのは残念」・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1674795?page=1
 <ささやかなガス抜き。↓>
 「日本は確かに「先進国で福祉も充実」、だが「わが国の高齢者の方が幸せかも」・・・中国メディアの快資訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1674796?page=1
 <これもまあそう。↓>
 「なぜアフリカの人は、日本や韓国ではなく中国に行きたがるの?・・・中国メディア・東方網・・・」
http://news.searchina.net/id/1674800?page=1
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太田述正コラム#10325(2019.1.20)
<丸山真男『政治の世界 他十篇』を読む(その4)>

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