太田述正コラム#45(2002.7.8)
<佐世保重工業(その2)>

 ここで、本件の「主役」であるベローウッドについて、ジェーン海軍年鑑の説明を転載しておきましょう。

1978年に就役した、強襲揚陸艦「タラワ」級三番艦。海兵隊1個大隊分の兵員、車両、機材を搭載し、これらを搭載ヘリコプターと揚陸艇によって、一気に敵地に投入する能力を持つ。
 満載排水量 39,967 トン
 全長    254.2  メートル
 幅     40.2  メートル
 喫水    7.9   メートル
 主機    蒸気タービン 2基、2軸
 出力    70,000 馬力
 速力    24   ノット
兵装    RAM近接防御艦対空ミサイル21
             連装発射機 2基
       127ミリ単装砲 2基
       20 ミリCIWS 2基
 搭載機   ヘリコプター 26機
        ハリアー   6-8機
 乗員等   乗員 930名
        揚陸部隊 1,703名

 先を急ぎすぎたので、時計の針を少し戻します。
 96年8月14日、突然海上幕僚監部の防衛部長室の電話が鳴りました。防衛部長の石川将補は不在であったため、在日米海軍司令官ハスキンス少将からのこの電話を受けたのは防衛課長の香田1佐でした。(ちなみに、現在石川氏は海幕長、香田氏は防衛部長へと「垂直異動」されています。よかれあしかれ、これが海上自衛隊の伝統的な人事です。)震える声でハスキンスは、「先ほどSSKの長谷川社長と本官の会談が決裂し、ベローウッドの修理を商業契約でSSKにやらせることが不可能になった。米海軍としては、SSKの反発は覚悟の上で、第3ドックを強制使用し、公開入札方式で修理を実施せざるを得ない。」と訴えました。
 私は、おなじ年の7月から、防衛庁の外局の防衛施設庁で提供施設に関する米軍との調整を担当していましたが、海幕にこの電話が入った時から、本件が実質的な決着を見る10月15日までの約2ヶ月間、予期せぬ仕事に翻弄されることになります。
 1日半の短い夏休みをとっていた私は、15日の午後に出勤してことの次第を聞かされ、頭を抱えました。
 かねてより、ベローウッドの修理契約をめぐる米軍とSSKとの交渉(前年95年の10月開始)が難航していることは明らかであったにもかかわらず、当時の諸富施設庁長官の方針の下、私的な商議に影響を与えてはならないという建前の後ろに隠れ、施設庁は本件をまともにモニターすることすら怠っていたため、我々は何の予備知識も持ち合わせていなかったからです。
 我々は必死に本件に取り組み始めましたが、事態の方がどんどん先に進展していきます。
 20日には、前述したように、かねてからSSKの長谷川社長と親交があった参議院自民党のドン、村上正邦議員のご登場です。参議院自民党幹事長室の村上議員、SSKの長谷川社長、姫野副社長のもとに、外務省の原口官房長、折田北米局長及び施設庁の諸富長官等が呼びつけられ、同議員より、「本件は、日米間において政治問題化する恐れがあり、第一義的には外務省の所管だ。」という認識が示されます。
 これは、両省庁の所掌に関するルールの明白な違反でした。本件は、艦船修理用のドックの提供という、在日米軍への施設・区域の提供に係る案件ですが、防衛施設庁発足時の1962年10月26日付の閣議了解によれば、「個々の施設及び区域の提供又は返還に関し、閣議決定に至るまでの米軍側との交渉は施設特別委員会(筆者注:日米合同委員会の一分科会で施設庁長官が日本側議長。後に施設分科委員会と改称)を通じて行うこととし、関係行政機関、都道府県の長、市町村の長、学識経験者等に対する照会その他の国内関係事務は一切防衛施設庁の責任において行う」こととされているからです。
 このルールの合理性は明白です。国内に活動基盤を持たず、地方支分部局もない外務省が、およそ施設・区域の提供に係る「国内関係事務」を適切に行えるわけがないからです。(外務省お得意の米軍側との交渉さえ、「施設特別委員会を通じて」、すなわち、施設庁のイニシアテイブの下で行われなければならないと規定されているほどです。)
 ところが、村上議員の「ご示唆」に忠実に、外務省は、米軍側との交渉を、施設庁との連絡調整抜きで勝手に開始したばかりか、あろうことか、SSKとの直接交渉にまで乗り出します。外務省にしてみれば、持ち前の政治家に対する卑屈さに加え、施設庁の(英語力を含めた)対米折衝能力に対する不信があったのでしょう。(後者の点は私にも分からないではありません。)
 しかし、外務省は佐世保に土地カンがないばかりか、佐世保地区の自衛艦の修理や若干の自衛艦の建造を通じて平素からSSKとお付き合いのある海上自衛隊や内局を抱える防衛本庁とともに防衛庁を構成する施設庁とは違って、SSKという企業もその経営者も知りません。しかも、外務省は自衛艦や米軍艦の修理について、技術的知識が全くありません。そもそも、こういった問題に対処するためのカネも持っていません。要するに、ナイナイ尽くしの外務省には、本件に関する交渉能力が完全に欠如しており、SSKとの直接交渉がうまくいくわけがありませんでした。
 だから、私は、村上議員の「ご示唆」について、諸富長官から話は聞いてはいたものの、施設庁が中心となって本件に当たるほかないと考えていました。
 そして、まず米側の話を聞く手はずを整えました。
 次にはSSKです。驚いたのはSSKのその時の反応です。本件について説明できる人なら誰でもよいから話を聞かせてほしいと同社に申し入れたところ、長谷川社長自ら28日に私の所に説明にうかがうというのです。正直言っていささかとまどいましたが、すべての経緯に通じているのは社長しかいないというので、お受けすることにしました。
在日米海軍司令部及び在日米軍司令部との会議は26日に私の部屋で行われましたが、私から、第3ドックの強制使用は、法的にも実際的にも不可能であると率直に説明したところ、米側は、「このところ、沖縄に関連し、地位協定に基づいた日米間の取り決めをいくつか締結し、或いは締結しようとしているが、日本政府が履行できなけないような取り決めなら、いくら締結しても何の意味もない。」と激しく反発しました。
 その後、米側から、SSKが、交渉の過程でいかに無理難題をふっかけてきたかについてるる説明がありました。
 この間、外務省安保課から、SSKを通じて知ったのか、私と長谷川社長の面談に難色を示す意向が伝わってきました。
 翌27日に諸富長官に本件の経緯の説明を行ったところ、「本件については外務省にゲタをあずけ、施設庁は外務省への「協力」だけにとどめなさい。長谷川社長との面談についても、そもそも社長と君とでは格違いであるし、外務省も難色を示しているというのであれば、取りやめなさい。」と指示されました。
 私は、施設庁として、米側からの事情聴取だけでは片手落ちであるので、ぜひSSKからの聴取もさせてほしいとねばったのですが、認められませんでした。長官は、村上議員の介入をよいことに、所掌に関する閣議了解を無視して外務省に本件をぶんなげ、失敗した場合の全責任を外務省に押しつけようとしているのだな、とその時悟りました
 やむなく安保課に対し、「長官の指示もあり、明日の長谷川社長との面談はキャンセルするけれども、外務省の方で、社長と会う気があるなら、SSKに申し入れてみるがどうしますか」と問い合わせたところ、その必要はないと言下に断られてしまいました。
 9月3日には、外務省で田中均北米局審議官と姫野副社長との会談が行われ、私も施設庁を代表して陪席を許されました。これが私の姫野氏との第一回目の出会いです。なお、田中均氏とは、先般、瀋陽事件のハンドリングミスをとがめられて処分を受けたあの外務省アジア大洋州局長の田中均氏です。(続く)