太田述正コラム#10301(2019.1.8)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その28)>(2019.3.30公開)

 「<自身の>日記から、スティルウェルの心中では、共産党の統治する世界が理想の天国であり、国民党の統治する世界は暗黒の地獄であることが見て取れる。・・・

⇒延安を中心とする狭い中共支配地区は、ショーウィンドウ的に「整備」して米国人等に見せる(魅せる)ことができたのに対し、蒋介石政権支配地区は広く、ありのままの姿を見せざるをえなかった、ということでしょうから、前者は、絵に描いた餅に等しかったわけで、そんなものにイチコロになった、スティルウェル等の米国人はお目出度い限りでした。
 彼らに、発展を遂げつつあったところの、日本軍占領地域(汪兆銘政権支配地区)(典拠省略)も見せてやりたかったものです。(太田)

 <また、米副大統領の>ウォーレス<(ウォレス)(コラム#9091、9095)>は、中国訪問の前にモスクワに赴き、ソ連の意見を聞いた<ところ、>・・・スターリンは、ソ連共産党は中共となんの関係もないと述べた。
 ウォーレスがそれを真に受け、アメリカの対中政策に関わる多くの要人たちも長いあいだ、それを真に受けていたのである。・・・
 
⇒いや、それは本当のことだったわけです。(太田)

 <その後、ハーレー<(注38)駐中米>大使の回想録によれば、彼が1945年春にモスクワを訪問した際、スターリンは彼に向って、中国共産党は真の共産主義ではなく、ソ連は援助しないだろう、ソ連は国民政府と協力することを願っている等々と語った。・・・

 (注38)1883~1963年。「弁護士・・・政治家、外交官。1929年から1933年までハーバート・フーヴァー大統領の下で・・・陸軍長官を務めた。
 ハーリーは・・・国務省高官<らが>、毛沢東の掲げる共産主義について過度な共感を持っているのではないかと思っていた。・・・ヤルタ・・・会談において<ソ連>は、<米国から>帝政ロシア期に日露戦争で失った<支那>での利権を再び取得するという密約を取得した。ハーリーはこの密約について、<支那>における反共主義の終わりの始まりであると認識した。ハーリーは<ロ>ーズベルト大統領の死後、後任のハリー・トルーマン大統領に期待した。ハーリーは、ヤルタ会談で犯した間違いに大統領が気付き、状況を修正してくれるという希望を抱いた。だがその望みはかなうことはなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

⇒これも、まんざら嘘ではなかったわけです。(太田)

 ローズベルト<自身、>彼の幕領の言い分だけを信じ、中共が民主的な参政を要求し、農民の生活改善に努力する、モスクワとはなんの関係もない政党と見ていた。・・・
 <彼は、>マーシャルを派遣して蒋介石と中国国民党の手足を縛ろうとした。・・・
 <例えば、>陕西省の南部で中共の軍隊を監視するという重責を担っていたのは胡宗南将軍だが、彼の機要秘書[機密文書・電報の処理・保管を担当]熊向暉(ゆうこうき)は中共の地下党員だった。
 <彼の正体がばれそうになった時に、マーシャルは救ってやっている。>・・・
 胡宗南がのちに延安に進攻して失敗した<のは、>・・・熊が毎日の軍事動向や配置を延安に報告していたことにある。・・・
 マーシャルは彼の<中共との>連合政府の主張を受け入れるよう国民政府に圧力をかけるため、1946年8月から48年4月まで武器の<事実上、国民政府だけへの>禁輸措置を取った・・・。・・・
 さらにマーシャルは、<国民政府と中共に>三度の停戦命令を下し、<その都度、>追撃を受けていた共産軍に一息つかせた。・・・
 <なお、>抗戦後期から始まったインフレの抑制が利かなくなったことが、民心を失い、国民政府が大陸を失う重要な原因になったこと・・・なかでも、アメリカ人が経済面で取った様々の行為<が>重大な意味を持った・・・ことを知る人は稀である。・・・
 アメリカは・・・1943年7月17日<に>・・・中国政府に2億ドルの借款を供与することを約束した<が、>アメリカ・・・はこれを守らなかった<のだ。>・・・
 書面で援助を表明したのは財務長官で、具体的に詮議し執行するのはハリー・デクスター・ホワイト<(コラム#1384、5161、5902)>財務次官であった。・・・
 この財務次官はアメリカ共産党員だった・・・。・・・
 <その結果、>物価指数は、1942年12月の66.2から43年12月には755と急上昇し、45年12月には1167と、天を突き抜けるばかりに跳ね上がった<のだ>。・・・
 <米国の>左翼分子は金がすべて役人によって横領されてしまった<からだ、>とデマを流し、当然ながら<米国や中国の>人々はそれを信じ、国民政府は大いに民心を失うことになった。・・・
 <そもそも、>8年の抗戦期間中、アメリカは欧州重視、アジア軽視の政策を取った。・・・
 アメリカの対中援助を合計しても総額わずか6億3000万ドルで、アメリカの対外援助資金の70分の1にすぎなかった。・・・

⇒このあたり、全く典拠が付されていないのですが、全て事実であった可能性が大でしょう。
 アジア人は、米国の指導層にとっては、差別の対象であり、その運命など、殆ど関心がなかったのですからね。
 その上、そもそも、米国人達の大部分は、指導層も含め、国際音痴ときています。
 そんなことだから、自分がアジア人が好きだと思い込んだ一握りの米国人達が思いついた・・実際には吹き込まれた・・アジア政策が軽々に国レベルで実行に移されることになり、その結果として、杉山らと毛らの掌の上で米国が踊らされる羽目になってしまった、というわけです。(太田)

 中国の国内情勢の展開を演出した総監督はスターリンである。

⇒そうではなく、総監督は杉山元であったことを我々は知るに至っています。(太田)

 ソ連は勝利者であり、中国共産党は主要な受益者である。

⇒そうではなく、「ソ連は米国ともども敗北者であり、」です。但し、以下は間違っていません。(太田)

 一貫して情勢をよく理解せずに行動し、朝鮮戦争の勃発によって猛然と覚醒したのがアメリカである。

⇒ここは概ね正しいですね。(太田)

 直接の犠牲者は中華民国の国民政府であり、中国の広範な庶民である。・・・ 

⇒後段は必ずしも正しくありません。(太田)

 ・・・朝鮮戦争では多くのアメリカの若者の血が流されたことから、・・・1950年代になって、・・・あの親米的だった中国の4億5000万人の人々を・・・むざむざと共産主義者の側に手渡し<てしまったところの、>・・・「中国の喪失」に・・・誰が・・・責任を負うべきか、アメリカ議会が追及した・・・。・・・<そして、>いわゆる「マッカーシ-旋風」<が吹き荒れた。>・・・
 なお、朝鮮戦争後、アメリカの対中政策は<、中国の>「封じ込め」と「孤立化」という二つの目標に向かって突き進むことになった。」(174、177、184~185、189~191、203~207、209、)

⇒ここは、正しくは、「アメリカの対ソ・対中政策は」でしょう。
 繰り返しますが、これによって、杉山の戦略は完結し、後は、アジアの復興を待つだけになったのです。(太田)

(続く)