太田述正コラム#10335(2019.1.25)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その7)>(2019.4.16公開)

 「そうして、爾来経験科学としての政治学は主として英米(political scienceとして)及び仏(sciences morales et politiquesとして)のごときいわゆる西欧民主主義国家に発展し、そこでもっともみのり多い成果をあげて今日に至っている。

⇒「イギリス政治学会が設立された<のは、遅く、>1950年であった。設立に当たってイギリスの主要な政治学者の間で、学会の名称を巡る論争が展開され<、>・・・当初political scienceの語を名称に入れるのが有力であったが、ハロルド・ラスキらの強硬な反対でPolitical Studies Associationという名称に落ち着いた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AD%A6 前掲
というのですから、「英米」中のイギリスでは、political science、ではなく、political studies、である、ということになります。
 現在紹介中の丸山の論文が書かれたのは1947年です(460)から、イギリスで学会名称がそうなることまでは予想できなかったのでしょうが、イギリスで政治学の学会がないことの理由を追及した気配が彼にないことは問題です。
 彼が、少しでも調べておれば、ない理由の一つが名称問題だったこと(上掲)も了知するところとなったはずですが・・。(太田)

 これに反してドイツにおいては・・・政治学はほとんどもっぱら国家学(Staatslehre)として展開し、それもとくに、国法学(Staatsrechtslehre)乃至は行政学の巨大な成長のなかにのみこまれてしまった。
 これもつまりプロシャ王国乃至ドイツ帝国における市民的自由のひ弱さと、これに対する官僚機構の盤石のような支配力を反映した結果にほかならない。

⇒scienceが名称中に入っていないから、ドイツのは科学(学問?)ではない、とでも丸山は言いたいのでしょうか。
 political scienceと国家学/国法学・行政学の研究対象や中身がどう違うのかを論じずして、結論めいたことを断定的に書いてもらっても、(これら全ての「科目」群を法学部当時に履修した私を含め、)我々は途方に暮れるばかりです。(太田)

 かくして一般に「政治」がいかなる程度まで自由な科学的関心の対象となりうるかということは、その国における学問的自由一般を測定するもっとも正確なバロメーターといえる。
 なぜなら政治権力にとって、何が好ましくないといって己れ自身の裸像を客観的に描かれるほど嫌悪すべき、恐怖すべきことはなかろう。・・・」(16~17)

⇒本当に丸山の言う通りだとすれば、そして、これまた丸山の言うようにマキャヴェッリの「政治学」に係る業績が高く評価されるべきだとすれば、フィレンツェ、いや、広く、欧州において、それは奇跡に近かったということになりそうですが・・。
 というのも、マキャヴェッリが生まれた15世紀後半(1469年)ならぬ前半、同じ欧州のボヘミアのヤン・フスは、著書の『教会論』等が咎められ、カトリック教会のコンスタンツ公会議によって1415年に焚刑に処せられており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B9
また、マキャヴェッリ当時、彼と同じくフィレンツェ市民であったジロラモ・サヴォナローラは、「ヤン・フスとともに<欧州における>宗教改革の先駆者と見なされる」人物であったことに加え、「フィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な独裁体制を批判し」、フィレンツェで<彼による実質的な独裁体制であった(!)(太田)>神政政治を行った人物でもあるところ、「1497年には教皇・・・から破門され」、1498年に「絞首刑ののち火刑に処され」ており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%8A%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9
欧州全体においても、また、フィレンツェ自体においても、「学問的自由」度は、場合によっては火刑に処せられるかもしれないという程度の危ういレベルにとどまっていたからです。
 (そもそも、プラトンの先生のソクラテスだって、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状でアテナイで死刑になっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
 アテナイの「学問的自由」度だってたかが知れています。)(太田)

(続く)