太田述正コラム#10467(2019.4.1)
<2019.3.30東京オフ会次第(その3)>(2019.6.19公開)

<コラム#10465の訂正>
しかし、そんなはずはない、と、、もう一度、

しかし、そんなはずはない、と、もう一度、

とりわけ、晩年の → とりわけ、重豪の晩年に生まれた
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 (以下は、実際には、「講演」ではしゃべらず、質疑応答の過程で、断片的に触れた話なのだが、便宜上、ここで、まとめて披露する次第だ。)

 で、次は、私が、杉山構想なるものにどうやって辿り着いたか、だが、これについては、これでもって閃いたのでした、的な瞬間など何もなかったのであって、自然かつ論理的そこに行き着いた、といったところだ。
 まずは、日本の近現代史家や政治学者達への皮肉も込めつつ、明治維新後における、官界と民間の島津斉彬コンセンサス信奉者達の元祖、理念型、とも言うべき、山縣有朋と福澤諭吉を同定した上で、この二人の後を意識的無意識的に継いで行った人々を、拡大ないし疑似拡大島津家関係者達及びその子孫達を中心に、探し出しつつ時代を下って行く、という作業を、終戦時に至るまで、私は行ったわけだが、官僚経験があって、軍隊についてもいささか通じている私には、杉山が、日本の、少なくとも満州事変から終戦まで、政府の中心的存在であり続けたところの、(昭和天皇は除いて、)唯一の人物であることがすぐ分かった。
 どうして、今まで、そんな単純なことすら指摘した人がいなかったのか、未だに不思議でならない。
 (指摘していなかったどころではなく、上原勇作以外に陸軍三長官を全て経験した唯一の人物だったという点だけとっても、少なくとも陸軍の重鎮中の重鎮であったはずの杉山のウィキペディアときたら、短いのなんのって、彼の経歴すらかなり略されて紹介されていて、ある意味、漢語ウィキペディアの方が詳しい、という始末だ。)
 で、そうだとすると、杉山が、単に人望があっただけで、陸軍、ひいては日本政府の中心的存在であり続けたとは考えにくく、むしろ、彼が、一貫した構想の下に、この間の日本のかじ取りをしていったからこそ、彼は陸軍内での人望を集め続けた、ということではないか、と思い始めた。
 そこで、杉山構想なるものを仮置きし(=でっち上げ)てみて、(一見複雑怪奇な)満州事変以降終戦までの日本の歩みを、すっきりと説明できないか、という目的意識の下、「構想」と「実際の歴史の展開」との間を行きつ戻りつ、最初に仮置きした杉山構想を「改善」していく、という試行錯誤的作業を行った。
 そうこうしているうちに、もうこのあたりでよかろうと見極めを付けたところの、もはや仮置きの域を超えた、「最適化された」杉山構想でもって、まさに、すっきり、満州事変から終戦に至るまでの日本の歩みの全ての説明ができてしまった、というわけだ。
 この間、島津斉彬コンセンサス的なものの存在の認識、と、先の大戦に日本は実は勝利したとの認識、の2つが私の導き手となったことは言うまでもない。

3 質疑応答(Oは私)

A:時系列的に杉山のすぐ前にいて、彼に杉山構想的なものの策定を促した人物は、やはり、武藤信義(コラム#10435)か。
O:その可能性が高いが、もっと調べる必要がある。
 もちろん、牧野伸顕も、杉山に同様のことを促した可能性がある。
 なお、満州事変以降の日本の歩みの背後に、よく言えば構想、悪く言えば陰謀、があったはずだとする考えは、私独自のものではなく、占領軍自身、そう考えていた。
 というか、少なくとも日本占領に関わった連合国中、英国はそう考えていたはずだ。
 というのも、英国人達は、もはや、インド等の独立は必至になった、つまり、自分達は日本に敗北した、と感じていたと思われるからだ。
 そんな恐るべき成果をあげたところの、相対的に非力であった日本は、組織的計画的に満州事変以降の戦争を戦ったに相違ないのだから、それを首謀したグループが存在したはずだ、と、彼らは考えたに違いない。
 だからこそ、英国は、わざわざ、英本国人ではなく、人種主義で日本憎しに凝り固まっていた豪州人達の中から極東裁判の裁判長を差し出し、日本への復讐を行おうとしたのだし、首席検事の米国人キーナンに共同謀議論を吹き込んだのも彼らだった、と私は見ている。
 ところが、「共同」だと思い込んでいたこともあり、同裁判では、謀議(陰謀)の存在の証明はできなかった。
 だから、事実上、(事後法の部分もあったが、)戦時国際法違反だけでもって、A級戦犯達は処断された。
 いや、陰謀はあったが、「共同」ではなく、「一人」の陰謀だった、首謀者は昭和天皇だ、と主張したのが、1960年末になってからだが、バーガミニだ。
 これは、共同謀議説よりはスジがよかったが、首謀者を昭和天皇とした点で誤りだった。
 私の新説は、バーガミニ説を更に一歩進めただけのことだ。
 すなわち、首謀者は、昭和天皇ではなく、杉山だった、という・・。
 話は変わるが、安倍、麻生がひどいだけではなく、そのじいさんの岸、吉田だって相当ひどかったわけだが、麻生のひいおじいさんが、あの牧野であることをどう思う?
B:牧野の父親の大久保利通自体が大した人物ではなかったわけだから、牧野が更にオツル人物だったとして、麻生にまで至る過程で、大久保家の人々のデキは、着実かつ順当にオチ続けていったということではないか。

(続く)