太田述正コラム#10500(2019.4.17)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その7)>(2019.7.6公開)

⇒この後、ルソーへの言及があるのですが、不可解な記述であって、かつ、話が拡散するので、取り上げないことにします。(太田)

 英国の国家構造は、バジョットのいう「自由国家」の特徴をもっていました。
 それを体現していたのは、国王の諮問機関、すなわち本来、大封建領主から成る行政機関であった王室評議会から発展した議会でした。・・・

⇒これは、極めて不適切な記述です。
 太田コラムでかなり前にも英議会の起源を取り上げたことがあります(コラム#省略)が、改めて調べてみたところ、当時に比べて、英語ウィキペディア群の記述が随分整理されたな、という印象を持ちました。
 で、要するに、英議会の起源は、ゲルマン人社会における部族集会であって、(アングル人やサクソン人を含む)北欧圏では、それはThingと呼ばれ、そこでは、首長の選挙、重要意思決定(立法/税)、裁判、が、(主として男性たる)自由人達による票決で行われていたのです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thing_(assembly)
 このThingが、アングロサクソン時代のイギリスでは、征服者たるアングロサクソン、等、からなる有力自由人達、すなわち、Witan達、によるところの、Witenagemotへと変化し、それが7世紀から11世紀まで続きます。
 (当然、イギリス統一前には、王国の数だけ中央Witenagemot群があったわけです。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Witenagemot
 これが、ノルマン征服王朝によって、国王への諮問と国王による裁判の機関へと貶められたのがCuria Regis(王会)であり、1215年にジョン王がマグナ・カルタを承認させられたことによって、Curia Regisの実質的なWitenagemot回帰が果たされるのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%B9
 三谷のような記述をしてしまうと、例えば、イギリスの年代記の作者達が、12世紀に至るまで、Curia RegisをWithanと称し続け、かつまた、米独立革命の父達が、Witenagemotを理想視し、それが土地所有者達の代表達によって構成されていた、と考え、その北米大陸における復活・・但し、相手はノルマン朝ならぬ、ハノーヴァー朝・・を期したこと
https://en.wikipedia.org/wiki/Witenagemot
の説明もできなくなってしまいます。(太田)

 バジョットの歴史認識では、「前近代」以来の英国の国家構造をめぐる自由な議論の積み重ねが「議論による政治」を強化してきたのです。・・・
 「議論による統治」を最も重要な指標とするバジョットの「近代」概念が、人間の行動を動機付ける要因として伝統や習慣を重視する理由の一つはここにあります。
 バジョットは、伝統や慣習から自由な人間の自己利益の認識能力に疑いをもち、それを駆使して把握したと信ずる自己利益を行動の発条とする同時代の功利主義<(注3)>的人間観に与しませんでした。・・・

 (注3)「狭義には J.ベンサムやミル父子などに代表される経験論的功利主義をさし,最大多数の最大幸福をスローガンとする。彼らは幸福と快楽とを同一視し,苦を悪としたが,ベンサムでは快楽は量的にとらえられ,快楽の計量可能性が主張され,J.ミルでは快楽に質的差異が認められ,精神的,倫理的快楽が注目された。この思想は,イギリスでは H.シジウィックの合理主義的功利主義,H.スペンサーの進化論的功利主義に引継がれ<た。>」
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9-63351
 「ベンサムはあらゆる快楽をおなじように計算することができると考えたのに対し,J.S.ミルは「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」といい,快楽の質の違いを強調する。シジウィック・・・は,快楽から道徳を導きだすことを否定し道徳の基礎を直覚におき,その考えを功利主義に結びつけた。スペンサー・・・は,・・・功利主義と進化論の総合をめざした。」
http://note.masm.jp/%B8%F9%CD%F8%BC%E7%B5%C1/

⇒このようにバジョットの考えを要約するのが正しいのかどうかの判断は留保しますが、いずれにせよ、このような考え方を採ると、「議論による統治」の歴史のない国では議会制政治を機能させるのは困難だ、ということになってしまいますが、これでは、バジョット(三谷?)は、アングロサクソン文明及びアングロサクソン文明的であるところの米国文明、以外の諸文明を、議会制政治不適諸文明として貶めてしまっている、と言われても仕方がないでしょう。(太田)

(続く)