太田述正コラム#8892005.10.3

<神道と憲法>

1 首相靖国参拝大阪高裁違憲判決

小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反であり、精神的苦痛を受けたとして、台湾人188人が国と首相、靖国神社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は9月30日、首相の靖国神社参拝について(1)公用車を使用し秘書官を伴った(2)首相就任前の公約として実行した(3)私的参拝と明言せず、公的参拝を否定していない(4)主な目的が政治的?など参拝前後の状況も含めて検討し、首相の職務としての「公的性格」を持つと認定し、参拝が憲法203項が禁止する宗教的活動に当たり、違憲であると判決しました(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050930/eve_____sei_____003.shtml101日アクセス)。

 この判決に私は二つの点で強い違和感を覚えます。

首相ともなれば、プライバシーの権利こそ主張できるものの、それが主張できる以外の場においては、その言動は多かれ少なかれ「公的性格」を帯びるであって、(1)とか玉串料を公費から出したか否かといった客観的メルクマールや、(2)?(4)のような主観的メルクマールでもって、その言動が「公的性格」を持つかどうかを判定することなどナンセンスだ、というのが第一点です。

 このように、首相が外出して人前で行う信仰活動は多かれ少なかれ「公的性格」を帯びることから、首相が行う「公的性格」を帯びた宗教的活動は違憲だ(注1)ということになると、首相になったとたん、その人の信仰の自由が著しく制約される、ということになりかねない、というのが第二点です。

 (注1)上記高裁判決は、首相が「国内外の強い批判にもかかわらず参拝を実行、継続している」とし、「一般人に対し国が靖国神社を特別に支援しているとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になる効果が認められる。社会的、文化的条件に照らし相当とされる限度を超えている」とした上で違憲であるとしているので、「公的性格」を帯びておれば即違憲だとしているわけではないが、「」内は事実上、「公的性格」を帯びておれば即違憲だとしているに等しい。

つまり、この高裁判決に照らすと、首相になれば、新春に伊勢神宮を参拝することはもとより、近所の神社に初詣に行くことも、或いは近所の神社のお祭りに参加することもダメだ、ということになりかねないわけです。

2 神道と憲法

 このような、神道と憲法に係る問題はたくさんあります。

天皇の即位の礼・大嘗祭が神道行事的色彩があることが、平成天皇の即位の礼の時に問題になりましたが、これは「「公的性格」を帯びた宗教的活動は違憲か」という第一点と「高位高官は信仰の自由の制約を甘受すべきか」という第二点どちらにも係わるという点で、首相の靖国参拝問題と基本的に同じ問題です。

また、地鎮祭への地方自治体の関与、忠魂碑建立への公費支出、自衛艦等の公有艦船への神棚の設置、等の問題は、第一点のみに係わる問題です。

このほか、殉職自衛官の護国神社への合祀や外国人「英霊」の靖国神社への合祀等の問題があります。これは、故人やその遺族が憲法の信仰の自由規定を援用して神社への合祀を拒否できるか、という問題です。

これらの問題をめぐって、現行憲法制定以来繰り広げられてきた違憲論議や違憲訴訟沙汰をきれいさっぱり解消するためには、方法は一つしかありません。

神社神道(注2)は宗教ではなく社会儀礼・・日本国民にとって普遍性をもつ習俗・・であると割り切ることです。

(注2)戦前内務省所管の神社、及び陸軍省と海軍省共管び靖国神社と護国神社、のうち現存する神社に係る諸宗教法人が行っている活動。

その根拠は次の三つです。

ア 「日本<は>天皇を首長とする祭政一致の統一国家<として始まる。・・天皇は、「水穂の国」の稲作りの主宰者として、年穀豊穣・天下泰平の神道的祭礼を行うようになり・・奈良時代初期、天武天皇は各氏族・皇族の記録や伝承を編纂し、神道のもととなる神話を整理し、ここに神道は国家神道として完成する」と以前(コラム#826)で申し上げたところだが、聖武天皇によって仏教が日本の国教化して以来というもの、神道儀礼の元締めとも言うべき天皇でさえ、19世紀の廃仏毀釈までの長きにわたって敬虔な仏教信者であり続け、13世紀から19世紀までの歴代天皇の墓所は菩提寺の真言宗の泉涌寺に設けられた(コラム#451)ことからしても、神道は祭祀(社会儀礼)であり、宗教(信仰の対象)ではない、という認識が日本人の間でおおむね確立していた、とみなしうること。

イ 明治維新後、祭政一致への復帰・国家神道の復活が図られるが、神官は説教や葬儀に関与することが禁じられる等、祭祀と宗教は分離され、神社神道は信仰の対象ではなく国民が義務として「崇敬」する対象とされて、一般の宗教とは別次元のものとされたこと(http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161530582/content.html10月2日アクセス)

ウ 大嘗祭は、即位した天皇陛下が新穀を天照大神と神々に供え、共に食べて国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈る神道儀式であるところ、今上天皇の大嘗祭にあたって、宮内庁は、これがわが国の古代農耕社会に根ざした伝統的な収穫儀礼・・すなわち社会儀礼・・であると説明したことhttp://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/103.htm10月2日アクセス)。

 最高裁が、このようなスタンスの判決を下すこと、かつその機会ができるだけ早期にやってくることを期待することにしましょう(注3)。

 (注3)その暁には、神社は宗教法人ではなく、NGOの一種、ということになる。

(完)