太田述正コラム#9052005.10.12

<一党支配日本の先進性>

 (10日までの一ヶ月間の、太田HP・ブログへのアクセス状況等について、HPの掲示板に掲げてあるので、ご参照下さい。)

1 始めに

 以前から、英国のような「class」(アクセントや生活様式を異にする階層)による分化や米国のような、富・人種・宗教をめぐる分化が存在しない金太郎飴的日本に、英米のような、世界観を異にする2つの政党からなる二大政党制が成り立つ基盤があるとは思えません」(コラム#184)、と日本の与野党間に世界観や政策において、違いがほとんどない(注1)点や、「日本の有権者が、合理的な意思決定者(actor)として、政治システムを通じて経済的効用(benefit)を追求している」(コラム#185)、つまり権益擁護政治が行われている点をとらえて、日本の政治の先進性を指摘してきたところです。

 (注1)かつての55年体制下の自民党と社会党は、どちらも吉田ドクトリンを信奉しており、かつ日本型政治・経済体制の維持を当然視していた点で、全く同じだったし、現在の自民党と民主党は、どちらも吉田ドクトリンに未練を残しており、かつアングロサクソン的政治・経済体制への変革を目指している点で全く同じだ。

 このたび、あのニール・ファーガソン(コラム#207?212240738828855880881)が、自民党の一党支配をとらえて、日本の政治の先進性を指摘しています。

2 ニール・ファーガソンの指摘

 ニール・ファーガソンは次のように述べています。

(以下、特に断っていない限りhttp://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-ferguson10oct10,0,817944,print.column1011日アクセス)による。)

ポーランドでは、先般の総選挙で、二つの中道右派の政党が、4年間続いた旧共産党による支配を打ち破って、政権を奪取した(注2)。昨年にはスペインで、8年間続いた保守政権から社会党政権に変わった。

(注2)9月25日の総選挙で第一党(Law and Justice Partyと第二党(Civic Platformとなった二つの党が連立交渉を行っている。この二つの党が擁立した候補者が今度は大統領(首相より権限が小さいが、外交に関しては大きな発言権を持つ)選挙で一位と二位(順位は逆転)を占めたものの、50%以上得票した候補者がいなかったので、この二名で決戦投票が行われることになったhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4282372.stmhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4288666.stmhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4323608.stm(いずれも1011日アクセス))

しかし、これらは民主主義の歴史が短い国で起こったものであり、成熟した民主主義国では政権交代はほとんど起こらなくなっている。

ここで、成熟した民主主義国の最右翼たる英米で、しばしば政権交代が起こっているではないか、という反論が予想される。

確かに戦後、英国では7回も保守党と労働党との間で政権交代が起こっているし、米国では、7人の共和党の大統領と6人の民主党の大統領が出ている。

しかし、英国では第一次世界大戦から先の大戦までの間、(連立の時もあったが)保守党が、1924年と1931年の短期間を除いてずっと権力の座にあったし、米国では民主党が1930年代から1960年代にかけておおむね議会で多数会派であり続けた。

ドイツと日本は、戦後民主主義が復活して以来民主主義が円滑に機能し続けている(注3)わけだが、成熟した民主主義国の中で、政権交代がほとんど起こっていない典型例だ。

(注3)ファーガソンが、ドイツと日本で民主主義が復活したのは、戦後の米国(等)による占領統治のおかげだと考えている(コラム#209参照)ことを、私は以前(コラム#210で)、日本については違う(コラム#4748参照)、と批判したことがある。

ドイツでは1949年にドイツ連邦共和国が成立して以来、1990年の東独吸収を経て現在に至るまでの間、キリスト教民主同盟(CDU。キリスト教社会同盟(CSU)を含む)は、二度社会民主党(SPD)に政権を明け渡しただけであり、今度再び政権に就こうとしている(注4)。

(注4)総選挙及び補選を経て、10日、SPDとの大連立交渉が妥結し、CDUのメルケル(Angela Merkel。女性で旧東独出身)党首のドイツ首相(Chancellor)就任が内定した(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4325600.stm1011日アクセス)。

日本に至っては、1993?94年の短期間を除いて、半世紀以上自民党が権力を握り続けている、

 他の国の例も付け加えておこう。

 スエーデンでは1932年から76年まで社会民主党が、イタリアでは1945年から80年までキリスト教民主党が、そしてイスラエルでは1948年の独立の時から1977年まで労働党が、一貫して政権の座にあった。

 以上から総じて言えることは、成熟した民主主義国では、約40年、すなわち一世代くらい、でようやく政権交代が起きる、ということだ。

 その理由は、経済の変動幅が小さくなった、金融の国際化の進展によって財政や経常収支の赤字の補填が容易になった、経済面での政治家への期待水準が低くなった、日本を先頭として社会の老齢化が進捗している、等によって、かつては政権交代の大きな要因であった経済問題(注5)の重要性が薄れているところにある。

 (注5)ここは、ファーガソンのかつての見解(コラム#207)とやや違ってきている観がある。

 もっとも日本でだけは、この経験則が当てはまらないほどの長期的な一党支配が続いている。

 日本人の礼儀正しさや精緻な社会秩序(intricate social hierarchies)を見ると、日本は別の惑星だと言いたくなるかもしれない。しかし、日本は未来の地球なのだ。日本は色んな面でわれわれの何周回か先を走っているのであり、政治においても日本の一党支配はわれわれの政治の将来である、と考えるべきなのだ。

 このように見てくると、英国のブレア首相はこのままずっと続投し、米国の次の共和党大統領どころか、次の次の共和党大統領に就任の祝意を述べることになるような予感がする。