太田述正コラム#10670(2019.7.11)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その72)>(2019.9.29公開)

 それは第一に、国際連盟によって組織として体現されたグローバリズムの否定を意味しました。
 「地域主義」は、日本の国際連盟脱退によって、東アジアにおいてはグローバリズムが現実的な基礎を失ったという見解に基づいていました。
 同時に第二に、「地域主義」は「民族主義」の対立概念として提示され、「民族主義」を超える新しい国際秩序の原理と見なされました。
 普遍主義的国際法によっては説明できない日本との特殊な関係をもつ「満州国」の出現は、統一的主権国家の確立をめざす中国民族主義とは明らかに抵触するものであり、中国民族主義に対抗して日満間の特殊な関係を正当化するには、「民族主義」ではなく、「民族主義」を超える「地域主義」の原理を対置する必要があったのです。

⇒「中国」なんて言葉を使っていることを利用して、三谷サン、満州を舞台に、女真人民族主義はさておくとしても、少なくとも漢人民族主義と蒙古人民族主義とがせめぎ合っていた(典拠省略)という実態を見えなくしてしまってはいけません。
 内蒙古、新疆ウィグル地区、チベット地区は、漢人民族主義の埒外であり、それこそ、漢人サイドだって、ある種「地域主義」的アプローチをしなければ、「中華民国」・・外蒙古は除く・・の一体性の維持はできなかったのですからね。(太田)

 しかも第三に、国際連盟脱退後の国際的孤立化を恐れていた当時の日本は、国際連盟に代わる何らかの国際機関を必要としていました。
 グローバルな国際組織に代わる地域的国際組織の中に日本の生きる砦を見出そうというのが、「地域主義」を導入する当初の根本動機だったのです。
 当時の「地域主義」の有力なモデルの一つは、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー<(注83)(コラム#149、3460、3462、5229)>の「汎ヨーロッパ主義」でした。

 (注83)Richard Nikolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi(1894~1972年)。母親は日本人。「ウィーン大学哲学科を卒業、同大学で哲学博士号取得。・・・
 1919年のある日、クーデンホーフ=カレルギーは地球儀を眺めて世界のブロック化に思い至った。欧州の統合を目指したクーデンホーフ=カレルギーが、欧州統合の先に目指すところは世界が1つになること、世界連邦である。世界連邦に至る過程において、世界の諸地域は5つの地域国家群(ブロック)に分けられ、それは「ヨーロッパ」(植民地含む)、「南北アメリカ」、「東アジア」、「イギリス連邦」、「ソビエト連邦」であり、最終的に世界連邦を形成するのである。
 クーデンホーフ=カレルギーは世界連邦運動をアインシュタインやバートランド・ラッセルらとともに提唱し、世界連邦建設同盟(World Federation Movement)が発足した。・・・
 クーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ運動は1922年10月に始まった。・・・
 第一次世界大戦後のヨーロッパは戦勝国・敗戦国ともに大損害を被っているにも拘らず分裂しているが、ヨーロッパはロシアの脅威に対抗しなければならず、米国と経済競争をしなければならない、というものである。欧州は統合することによって、勃興する米国、日本、ソ連に対抗することができる<、と。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC

 それをアジアに適用し、「汎アジア主義」を主張した者もありました。

⇒「主張をした者」が、蝋山だったのか、そうでないとすれば、誰だったのか、蝋山はその人物からヒントを得たのか、等、を三谷に説明して欲しかったですね。
 なお、細かいことを言えば、カレルギーの「東アジア」には欧米の植民地であった東南アジアも南アジアも入っていなかったはずであるところ、「汎アジア主義」の「アジア」や、蝋山の「地方的国際連盟」の対象に、東南アジアや南アジア、そしてついでに言えば、イラン、が入っていたのか、も気になります。(太田)

(続く)