太田述正コラム#9342005.11.5

現在の日本と英国を比較する(続々)

1 始めに

 読者Sさんから、以下の質問が、私のホームページの掲示板上でありました。

コラム#933で「昭和天皇の靖国参拝がA級戦犯の合祀により中断のやむなきに至った」と書かれておられたことについて質問させてください。

元駐タイ大使の岡崎久彦氏がこの点について異議を唱えておられますが、太田さんはこの主張に対してはどうお考えでしょうか?

「・・俗説では、天皇が靖国参拝できないのはA級戦犯が祀ってあるからだという。それに加えて、昭和天皇がA級戦犯の合祀に怒られたという説がまことしやかに伝えられている。昭和天皇は、戦争責任者は「昨日まで朕の信頼していた臣僚である」と仰せられて庇われた記録もあり、ましてその御霊を祀ることに反対されるなどとうてい考えられない。事実は三木総理が私的参拝と言った結果、天皇参拝の公私の別が議論の対象となって、行けなくなってしまったのである。A級戦犯の合祀はその後の福田内閣の時であり関係ない。また中国が靖国参拝に反対しだしたのはA級戦犯合祀以来だというのもウソである。合祀後、大平、鈴木、それから中曽根内閣の初めの二回の参拝のときは何も問題にしていない。問題とし出したのは、戦後の総決算を標榜した1985年の中曽根総理の<公式>参拝以降の話である。なぜ三木総理は8月15日に参拝したのであろう。私は当時の総理発言に直接当たっていないが見なくてもおよそわかる。つまり戦争を悔いて不戦の誓いを新たにするためである。それは靖国参拝の本来の趣旨と違う。・・」(2005年2月6日付讀賣新聞朝刊【地球を読む】掲載。http://www.okazaki-inst.jp/02062005yomiuri.html

 また、読者Kさんからも、以下のような長文のご意見を上記掲示板上でちょうだいしました。

「太田先生のいわゆる「A級戦犯」合祀と天皇陛下ご親拝中断についての議論はかなり誤解に基づいていると思われます。

1 天皇陛下のご親拝が「いわゆるA級戦犯」の合祀後に途絶えているとするのは朝日新聞の説です。朝日新聞は平成13年8月15日の記事で「A級戦犯合祀で天皇参拝は途絶えた」と報じました。昭和天皇の側近だった徳川義寛元侍従長の生前の証言や「A級戦犯」合祀に対する昭和天皇の思いが率直に表現されたとする未公表の御製をもとにした記事です。この御製は宮内庁でも確認できず、徳川氏は朝日新聞記事の時点では既に故人であるから、確認のしようがない。天皇陛下のご親拝は1975年11月21日が最後であり、「いわゆるA級戦犯」の合祀が報道されたのは1979年4月19日です。1975年8月15日に三木首相が靖国神社参拝をし、このとき、新聞記者の質問に答えて、「首相としてではなく、三木個人として参拝である。」と答えました。これ以後、総理の参拝に止まらず、閣僚の参拝には公人か私人かとするおきまりの質問が新聞記者の慣習となるという、ばかげてもあり、知的荒廃の極みでもある光景が繰り返されるようになりました。三木首相の参拝後、1975年11月20日の参院内閣委員会で旧社会党の秦豊、野田の両氏は翌日に予定されていた昭和天皇の靖国神社参拝の法的性格について質問しました。当時の植木光教総理府総務長官は「宮内庁に問い合わせたところ、私的なものと聞いたので妥当だと承知した」と答弁しました。しかし、社会党と共産党はこの答弁に納得せず、昭和天皇のご参拝に反対する談話を発表しました。(国会答弁については産経新聞記事による。日付は失念)旧総評など七団体もこれに同調し、反対集会を開きました。三木首相参拝以後、陛下のご親拝は必然的に政治論争に転化することとなったのです。このため、ご親拝は困難となったと解するのが正しい。ご親拝はなくても勅使拝礼は「いわゆるA級戦犯」の合祀後もされ、各皇族方のご参拝もされているから、朝日新聞の説は全くためにする説です。<2以下、省略>」

 そこで、Sさんの挙げられた事実に引用間違いがない、という前提で、私の見解の補足説明をしましょう。

 

2 私の見解

 (1)事実関係

  ア 昭和天皇の戦後の靖国神社参拝(親拝)は、19451952195419571959196519691975年(10月)の8回であり、参拝間隔はそれぞれ、7、2、2、3、2、6、4、6年となっている。終戦直後と主権回復直後の間の7年間隔は別とすれば、参拝間隔は段々長くなる傾向が見られた。また、1957年と1959年の参拝が4月に行われた以外は、参拝はすべて10月に行われている。(http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yasukuni/nenpyo_2.htm前掲)

 つまり、1975年以降に靖国神社親拝が行われていたすれば、それは、どんなに早くてもその4年後の197910月以後であった可能性が高い。

  イ 靖国神社へのA級戦犯合祀が公になったのは、1979年4月であったことから、(197510月ならぬ)197910月以降も引き続き天皇の靖国神社親拝が行われなかったのは、A級戦犯合祀のためであった可能性は否定できない。

 ウ 1975年5月29日の参議院内閣委員会で以下のような質疑が行われた。

秦豊議員(社会党):侍従は国家公務員であり、天皇の名代ということも個人的な資格ということが許されないと思います。伊勢神宮は明らかに宗教法人であるというありようにあわせてこれは明らかに憲法二十条に抵触する習慣と思います。これを習慣として見逃すことは余りにも重大であると思います。

角田内閣法制局第一部長:神社へお参りするという場合もいろいろな方法があるわけでございます。いわゆる神道の儀式によって正式に参拝をするというような、いろいろなやり方があると思いますが、そのやり方によって、ある場合は宗教的行為、あるいは宗教活動になるだろうと、しかし、非常に単純なおじぎをするだけではそういうものにならないというような考え方もあると思います。

 この質疑を受け、宮内庁は、同年9月以降、明治以来慣例となっている、侍従が陛下にかわって、毎朝、宮中三殿への代拝を行うのを次のように変更した。

  一、浄衣に笏を持った姿をモーニング姿に変え、

  二、宮中三殿の殿上での拝礼を、庭上からとし、

  三、御馬車での参進を自動車へ変えた。

 更に、伊勢神宮をはじめ橿原神宮や靖国神社への勅使が、従来の国家公務員たる侍従から天皇の私的使用人たる掌典へと変わった。

 (以上、http://s2.kcn-tv.ne.jp/users/seigasai/yasukuni.html11月4日アクセス)による。)

 これに伴い爾後、天皇や皇室の神社親拝も「私的」参拝となり、その経費は(恐らく)宮廷費ではなく、内廷費から支弁されるようになった。(オ参照)

  エ 1975年8月15日に三木首相が靖国神社に私的参拝をした。これは、首相が「8月15日」に「私的」参拝をした、という二つの点で、史上初めてのことだった。http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yasukuni/nenpyo_2.htm前掲)

 三木首相が「私的」参拝としたことについても、宮内庁の方針転換同様、ウで触れた参議院内閣委員会質疑を受けたものであった可能性がある。

  オ 1975年11月20日の参議院内閣委員会で社会党の秦豊、野田の両議員が翌日に予定されていた昭和天皇の靖国神社参拝の法的性格について質問したところ、植木光教総理府総務長官は「宮内庁に問い合わせたところ、私的なものと聞いたので妥当だと承知した」と答弁し(Sさん)、 翌11月21日、昭和天皇は靖国神社を「私的」親拝されたhttp://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yasukuni/nenpyo_2.htm前掲)。

(この参拝が、三木「私的」参拝の3ヶ月以上後に行われていることに注意。だから、岡崎氏の「三木総理が私的参拝と言った結果、天皇参拝の公私の別が議論の対象となって、<天皇が靖国神社に>行けなくなってしまったのである。」との主張は成り立たない。)

これが最後の靖国神社親拝となるとは、この時点では宮内庁も昭和天皇も夢にも考えていなかったのではないか。

  カ 最近の例を挙げると、今上(平成)天皇は、例えば、1994年3月と2001年11月に伊勢神宮http://www.tim.hi-ho.ne.jp/hebiguchi/p_tennou01.htm11月4日アクセス)、2001年6月に明治神宮(http://www.kunaicho.go.jp/gonitei/gonitei-h13-02.html11月4日アクセス)、200310月に出雲大社(http://www.izumooyashiro.or.jp/goshinpai.htm11月4日アクセス)を(「私的」)親拝されている。

 これは今上天皇の神社親拝のほんの一部に過ぎない。昭和天皇の晩年も同様であったと拝察される。

 にもかかわらず、197510月ないし197910月以降の昭和天皇同様、今上天皇も靖国神社だけは親拝されていない。

  キ 従前同様、「宇佐神宮と香椎宮は10年ごと、鹿島神宮、香取神宮は6年ごとに勅使が差遣され、また靖国神社には春秋二度の大祭に勅使<(ただし、「私的」勅使)>が差遣されている。」(http://www.genbu.net/engi/cyokusai.htm11月4日アクセス)のは事実だが、このことはむしろ、天皇とて、靖国神社を「私的」親拝されることに何の問題もないことを示している。

 にもかかわらず、再度繰り返すが、天皇は靖国神社だけは(「私的」)親拝されていない。

 (2)結論

 以上から、天皇(含む皇室(=内廷皇族))は、憲法の政教分離規定の関係で靖国神社の親拝を忌避されているのではないことはもはや明らかでしょう。

 とすれば、忌避されている理由はただ一つ、A級戦犯の合祀しかありえないのです。