太田述正コラム#10730(2019.8.10)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その102)>(2019.10.29)

 で、肝心の教育勅語だが、以下が現代語訳だ。↓

 「(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章)
 朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。

⇒日本は、徳(人間主義)に基づく国作りを、天皇が範を示しつつ国民の総意で行ってきた、と宣言した。(太田)

 これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

⇒教育は、かかる国体の永続化に資するために行われるべきである、とした。(太田)

 汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

⇒既出の「忠」を「進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につく<す>」ことであるとし、同じく「孝」を「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物とな<る>」ことである、と説明することで、徳(人間主義)を具体化、可視化している。(太田)

 かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚<(注127)>(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。

 (注127)「天子、天皇の位。宝位。おおみくらい。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9D%E7%A5%9A-628086

⇒一番重要なことは天皇制の維持である、と注意喚起した。(太田)

 かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。

⇒くどいように、徳(人間主義)の活性化・維持を求めた。(太田)

 この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。

⇒徳(人間主義)の至上性と普遍性を述べた。(太田)

 朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

⇒明治天皇(やその後継者達)が徳(人間主義)の範を示し続けるとの決意表明。(太田)

明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印」
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E

⇒軍人勅諭が既に発布されていたためか、教育勅語は、徳(人間主義)、すなわち、縄文性だけに言及していることが、徴兵制であったとはいえ、徴兵対象が男性だけで徴兵年齢は公教育開始年齢より高く、しかも、徴兵されない者もいたことを勘案すれば、弥生性の対国民教育は不十分であったと言わざるを得ない。
 (「大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」が弥生性への言及である、とは必ずしも言えまい。)
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(続く)