太田述正コラム#9362005.11.7

<報道の自由「後進国」の日本>

1 疑問の端緒

ジャーナリストの人権保護を目指す国際組織「国境なき記者団」(注1)(本部パリ)は20日、2005年の世界の報道の自由状況に関する格付け(注2)を発表。1位はデンマークやフィンランドなど7カ国で、北朝鮮が昨年に続き最下位で167位だった。 また、米国が昨年の22位から44位に転落。情報源秘匿を守ったニューヨーク・タイムズ紙記者の拘束を主要原因として挙げた。昨年42位だった日本は37位。・・」という産経新聞の記事(http://www.sankei.co.jp/news/051021/kok015.htm1021日アクセス)を読んだ時には、日本の順位が思ったより低いな、という位の感想でした。

(注1Reporters Without Borders (RSF)

 (注2World Press Freedom Index

ところが、同じ日の朝鮮日報の記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200510/200510200023.html1021日アクセス)では、韓国は34位でアジアで一番順位が高かった、と書かれているのを見てびっくりしました。同時に、韓国が日本よりも順位で上回ったと書きたいはずなのに日本のことには触れてないことに注目しました。(台湾(51位)、インドネシア(102)、マレーシア(113)、シンガポール(140位)、中共(159)、ビルマ(163)、北朝鮮(167位)には言及している。)

この記事で、国別のコメントの中で韓国の新聞紙法「改悪」騒動(コラム#535)への憂慮の念が示されていることも、併せて紹介されていました。

この記事を読んで私は二重にショックを受けました。

二重のショックとは、世界のジャーナリスト達は、専制的体制から抜け出て余り時間が経っていない韓国、しかも新聞法「改悪」騒動のあったばかりの韓国よりも、日本の方が報道の自由の面で遅れている、と考えていることにショックを受け(注3)、かつこのような重大な事実を報道しなかった日本の報道機関の報道姿勢に、もう一つショックを受けた、ということです。

(注3)朝鮮日報も、いくら何でもそんな馬鹿な、私と同じ「ショック」を受けたのではないか。そうでなければ、朝鮮日報が、韓国のメディアの中で最も日本バッシングに慎重なクオリティー・ペーパーであることを考慮したとしても、日本に言及しなかった理由が説明できない。

2 日本の闇

 (1)この格付けには問題あり?

 確かに、この格付けには様々な批判が寄せられています。

 格付けを出す方法論そのものへの批判もあれば、イラク戦争開始後72?99名のジャーナリストが殺害されたイラクの順位がベトナムより高いのはおかしい、キューバの順位がイデオロギー的偏見によって不当に低いものになっているのではないか、トルコの順位がカンボディアやヨルダンより低いのはおかしい、といった個々具体的な批判もありますhttp://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/11/04/200327870711月5日アクセス)が転載したガーディアンの11月4日付の記事)。

 (2)この格付けは正当かも

 しかし、この格付けにケチをつけるより、そもそも、どうしてそんな風に日本が見られているのかを自省すべきではないか、と思い、色々考えて見たのです。

 そもそも私は、日本のプレスの論説を含め、日本の論壇を無視するようになってから10年くらいになります。他方で私は、英国と米国の論壇(といってもカネと時間の関係で、両国のプレスのサイトに掲載される論説・論考のみ)を最も注目してフォローしてきています。両者のクオリティーの差は決定的なものがあるからです。

 クオリティーの差が生じる原因について、これまで私は、第一に、戦後日本において、事実上政権交代がなかったことと、閉鎖的な記者クラブ制が存続してきた(コラム#107109251)ため、莫大な情報を握っている官僚機構が自分達に都合の良い情報のしかも一部しかプレスや一般国民に開示しないで来たためであり、第二に、戦後は吉田ドクトリンに政・官のみならず学者やプレスまで毒され、国際情勢分析能力(グローバル化した今日においては国内情勢分析能力でもある)が鈍磨したためである、と考えてきました。

 しかし、このほかにも原因があるのではないか。例えば、日本のプレスの中共に関する記事や論説のクオリティーの低さは、中共当局のご機嫌を損なうような記事・論説を書かない、という自主規制が主要プレス間の暗黙の合意の下で行われているからだ、といったことがしばしば囁かれています。

 そこでまずひらめいたのは、報道の自由に関する上記格付けに係る日本のプレスの記事が及び腰なのは、日本の報道の自由問題については、余り深入りしないという自主規制が主要プレス間の暗黙の合意の下で行われているからではないか、ということです。

 次にひらめいたのは、報道の自由問題に深入りしない、できない、ということは、日本でのこの種の報道の自主規制がほかにも色んな分野で行われている可能性があるということを意味するのではないか、ということです。

そして、最後にひらめいたのは、仮に以上のことが、(われわれのような日本の一般市民にとっては「常識」でなくても、)(韓国以外の?)世界の報道関係者にとっては「常識」だとすれば、日本の報道の自由に関する格付けが低くて当たり前ではないか、ということです

 (3)その例証

ちょうどその時、この「ひらめき」を裏付けるかのような「事件」に遭遇したのです。

5番目の皇位継承順位者である三笠宮寛仁殿下(http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu05/0106ja30130.html11月6日アクセス)が、女性・女系天皇を容認することについて、異議を唱える趣旨の随筆を自ら会長を務める福祉団体「柏朋会」の機関誌(非売品)に寄稿していた(http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200511030255.html11月4日アクセス)、という報道は皆さんご存じだと思います。

 この報道に接した時、私は、利害関係者たる殿下がかかる意見を表明されたことに若干の違和感を覚えつつも、そのような意見をお持ちの皇室関係者もおられて当然、と受け止めました。

 ところが、翌日ガーディアンの記事(http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,7369,1627427,00.html11月5日アクセスを読んで自分の目を疑いました。

 三笠宮寛仁殿下は、宮内庁のスタッフに向けた私的ニュースレターで、女性天皇を認めるより天皇が妾(concubine)を持つという旧習を復活させるべきだと述べた、と報じていたからです。

 この記事には、このニュースレターを日本のメディア(local media)が入手した・・「報道した」ではない・・とも書かれていました。

 問題は、私がざっと調べた範囲では、「妾」の話が日本のメディアでは一切報道されていないことです(注4)。

 (注4)殿下の随筆の内容を最も詳しく報じているのは読売新聞(http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__yomiuri_20051103it01.htm11月6日アクセス)のようだが、もちろんその中に「妾」の話は出てこない。

 それどころか、ガーディアンの上記記事を引用するプレスも、私の知る限り、全くありません。ガーディアンの記事を訂正させようという動きもまたありません。

 いかに皇室関係の報道について自主規制がなされているかが想像できますね。