太田述正コラム#10770(2019.8.30)
<サンソム『西欧世界と日本』を読む(その4)>(2019.11.18公開)

 (4)第九章 徳川政体

 「・・・ちょうど英国諸島の国民がヨーロッパに属しながらも、性質としてはヨーロッパ的でないのと同様に、日本人はアジアに属しながらも、他のいかなるアジア諸国民とも似ていないという事態が生じた。

⇒珍しく、サンソムが、あたかも、イギリスと欧州とが異なった文明に属するような書き方をしている箇所ですが、イギリス人と欧州人の「性質」の違いについて、何の説明もしてくれていないので、断定はできませんね。(太田)

 ちょうどイギリス人が、しばしばドーヴァ海峡を渡って隣接諸国と戦ったように、日本もしばしば対馬海峡を渡って朝鮮を襲撃した。
 ちょうどイギリス人にとってその初期の文明の多くは海外からきた宣教師たちのもたらしたキリスト教のおかげで発達したように、日本古代の氏族的生活は、朝鮮およびシナからきた仏教によって変形され、かつ豊富にされたのである。・・・」(214)

⇒日本に関しては、仏教を通じて支那の文明の継受をしたのではなく、支那の文明の継受の一環として仏教も継受した(典拠省略)ので、サンソムは間違っていますが、イギリスの方はどう考えるべきか、むつかしいですね。
 ブリテン諸島中のイギリス部分(A)はローマ帝国領になっていた時期があるので、ローマ文明(キリスト教を含む)を継受する機会はイギリス部分の原住民には直接的に、残りのスコットランドやアイルランド部分(B)の原住民には間接的に、あったところ、ローマが撤退し、その後、ローマ文明を全く継受していなかったアングロサクソン人にAが征服されてからしばらくの間、ローマ文明の影響は殆ど払拭されてしまった(典拠省略)という認識でよいとして、Aのその後の必ずしもローマ文明ならぬ文明的なものの継受が、アングロサクソン人のキリスト教への改宗と並行して宣教師の手で行われた、という可能性は確かにありそうですが・・。
 この点について調べ、結論を出すのは止めておきます。
 ところで、Bはキリスト教化した後もケルト的な自然宗教的な宗教観を抱き続けていたところ、アングロサクソンも、Aの原住民のこの宗教観の影響を受けた後、キリスト教化したしたため、Aのキリスト教も、Bのキリスト教と似通った宗教観に立脚したものになった、という認識を抱いてきました(コラム#省略)。
 ところが、この関連でネットを見ていたところ、下掲の記述に遭遇して、いささか驚きました。↓

 ・・・One particularly prominent feature ascribed to Celtic Christianity is that it is supposedly inherently distinct from – and generally opposed to – the Catholic Church.
 Other common claims include that Celtic Christianity denied the authority of the Pope, was less authoritarian than the Catholic Church, more spiritual, friendlier to women, more connected with nature, and more comfortable dealing with Celtic polytheism.
 One view, which gained substantial scholarly traction in the 19th century, was that there was a “Celtic Church”, a significantly organised Christian body or denomination uniting the Celtic peoples and separating them from the “Roman” church of continental Europe.
 Others have been content to speak of “Celtic Christianity” as consisting of certain traditions and beliefs intrinsic to the Celts.
 However, modern scholars have identified problems with all of these claims, and find the term “Celtic Christianity” problematic in and of itself・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Christianity_in_Anglo-Saxon_England

 そうだとすると、イギリス人の宗教意識についてこれまで私が何度も書いてきた話は完全な間違いではなかったとしても著しい誇張だった、ということになりかねませんが、この問題についても、結論を出すのは止めておきます。(太田)

 「・・・イエズス会士の書翰の中には、どこを捜しても、自分たちの方が<日本人よりも>民俗的にも文化的にも優越している、といった感情の片鱗さえも見いだされない。・・・
 オルガンチノは、1577年(天正5)にこう書いている。
 「承知していなくてはならないのは、日本の国民はどんな意味においても野蛮でないということです。
 宗教ではわれわれの方が進んでいるが、その点を除けば、われわれ自身の方が、彼らに比べるときわめて野蛮なのです・・・。
 私は日ごとに日本人からなにかを学んでおりますが、全世界にも自然によってかくも優れた資質を恵まれた国民はまたとないと私は信じます」と。・・・
 <とはいえ、他方で、>宣教師たちは他のどこでも日本ほど野蛮に抑圧されたこともない。
 この矛盾を説明するには、甚しい強い社会的倫理感と法律施行に当たっての非情さとを結合した日本社会の二重性格という形で論ずべきものである。・・・

⇒サンソムは、私のいう、日本文明の縄文性と弥生性の二重性格に気付きつつも、それを掘り下げるには至らなかったようですね。(太田)

 <ところで、>日本人はいかなる意味においても、自分たちがヨーロッパ人に劣るものとは感じていなかったのに対して、シナ人はあらゆる意味において、自分たちがヨーロッパ人に対して優れていると感じていると公言してはばからなかった・・・。・・・

⇒残念ながら、後者について、典拠が付されていません。(太田)

 日本におけるキリスト教抑圧の遂行に当たっては、真の神学上の熱心さが重要な要素をなしたことを示すものはほとんど存在しない。・・・
 外来の教義に対する終始一貫した対抗があったのではなく、政治的理由に基づく変わり易い態度があったものと見られよう。
 もしも、ネストリウス派のキリスト教がアジアにかくも長く生き長らえた理由をただすならば、それは、この派がその背後に強い政治権力をもたなかったからであった。
 そしてインド、シナ、および日本において、ローマ・カトリック教会が成功と失敗を重ねたことは、これらの国々の判断で宣教師たちがどの程度の政治的支持を背後から受けていたかということと、密接な関係をもっていた。

⇒イギリスのカトリシズムに対する見解もまさにそうであった(コラム#省略)わけです。(太田)

 このような理由こそ、われわれが今考えてきた時期におけるキリスト教布教の取扱いに当たって、日本の支配階級が示した、あらわなぐらつきと無定見とをもっともよく説明するものである。・・・」(222~223、225~226)

(続く)