太田述正コラム#9802005.12.1

<米国の大学の入学者選抜方式の起源>

1 初めに

以前に(コラム#378で)「米国の大学では、入学学生の選考は、筆記試験、面接、それまでの学業成績、社会活動歴等を総合的に判断して行われる。日本の大学では、筆記試験一本槍で入学学生が選考される。」と申し上げました。

このことは、結構多くの方がご存じだと思います。

しかし、このような入学者選抜方式がとられるようになったきっかは、ユダヤ人に対する差別であった、ということは余り知られていません。先般、カリフォルニア大学バークレー分校の社会学のカラベル(Jerome Karabel)教授が上梓した The Chosen: The Hidden History of Admission and Exclusion at Harvard, Yale, and Princeton, Houghton Mifflinという本に依拠しつつ、このことをご説明しましょう。

(以下、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/10/27/AR2005102701733_pf.html1030日アクセス)、http://www.csmonitor.com/2005/1101/p13s01-bogn.html11月1日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/11/06/books/review/06brooks.html?pagewanted=print。(11月6日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/11/25/books/25book.html?adxnnl=1&adxnnlx=1132970496-WyZcaz1RBnpEGlvasc/4sw&pagewanted=print1126日アクセス)による。)

2 選抜方式変更の経緯

 かつては、ハーバード・エール・プリンスト(Big Three)という米国の名門アイビーリーグ大学への入学者は、ほとんどWASPWhite Anglo-Saxon Protestant)の上流階級の子弟ばかりでした。そもそも、入学志望者選抜試験(入試)はありましたが、形だけのものでした。

 米国の北東部のいくつかのエリート私立学校しか、これら三大学の入試に出る、ラテン語と若干のギリシャ語を習得させる古典教育を行っている学校は米国にはなく、これらの学校の卒業生は、希望すれば。ほぼ全員がこれら三大学に入学できました。

 そして、これらの大学は、紳士たる学生の方が学者たる学生より大勢在籍していることが自慢でした。その紳士たる学生とは、努力せずしてスポーツに優れ、カリスマ的で、公平で、勇敢で、謙虚で、そして何よりもリーダーシップを発揮できる人間のことでした。

 20世紀に入ると、これでは余りに金持ちの子弟優先だというので、ハーバード大学が最初に古典を入試から落とし、後の二大学もそれに倣います。

 ところが、思いもよらないことが起こりました。

ユダヤ人はみんなやる気があり、しかも多くは知的に秀でていたため、ユダヤ人が一挙に入ってきたのです1917年のエール入学者の9%1918年のプリンストン入学者の4%、同年のハーバード入学者の実に20%がユダヤ人であり、その後もその比率は毎年増え続けました。

 入学してからもユダヤ人学生達は、悩ましい問題を引き起こしました。

彼らには、WASP学生よりも、アルバイトをしたり、奨学金をもらったり、弁論術での卓越を追求したり、野心を持ったり、良い学業成績をとったりするという傾向が見られ、WASP学生と違って、社会活動を行ったり、大学の高級学生クラブに入ったりすることに、関心を示さなかったからです。要するに、ユダヤ人学生は学者たる学生ばかりで紳士たる学生はいなかったのです。

 当然、上流階級のWASPたるOB達からは、不満の声が挙がりました。

 大学当局はどうだったのでしょうか。

 彼らは、主観的にはみんな基本的に進歩派であり、民主主義者であり、相手がユダヤ人であろうが誰であろうが差別には反対でした。しかし、当時の、史上最も反動的な時代の米国で吹き荒れていたところの、拝外主義的(移民規制的)・反ユダヤ主義・優生学フィーバー、が大学内にも影を落としていました。

 いずれにせよ、彼らが懸念したのは、これでは青白きインテリばかり増えて、フランクリン・ローズベルト(1900年にハーバード大学入学。後に米第32代大統領)のような、学業成績はふるわないけれどWASP学生の期待される人間像的人物の居場所がなくなってしまう、ということであり、このままでは大学が、米国社会の権力の中枢から切り離された存在になってしまう、ということでした。

 結局ハーバード大学は、1922年から、日本や欧州の大学のように、客観的な学業成績meritだけではなく、主観的な、OBのコネ・課外活動・スポーツの技量・性格(personality)・男性らしさ(manliness)・推薦状、といった人柄(character)に係る要素も勘案して入学選考をすることにしました。入学願書には、写真を添付させ、人種・肌の色・宗教・父親の生誕地・家族の昔の姓・母親の旧姓、を記入させました。志望者の地域のOBによる面接試験も始めました。

今度も後の二大学はこれに倣います。

この結果、ねらいどおり、ユダヤ人の入学者数は、大幅に減りました。しかも、これは、女性と黒人を事実上閉め出すという、これら三大学のそれまでの方針を継続することにもつながりました。新しい移民の子弟も割を食いました。

3 そしてどうなったか

 戦後、1950年代後半のソ連のスプートニク・ショックの結果、学業成績がやや重視されるようになったり、1960年代の市民権運動の結果、黒人や女性の入学が促進されたり、(特に黒人については優遇的取り扱いがなされたり、)といった変化はあったものの。人柄重視の入学選考方式は、上記三大学のみならず、全米の大学で蹈襲され続けて現在に至っているのです。

4 コメント

 どう考えても差別的で合理性に欠けるこのような米国の大学入学選考方法は、しかしながら、明らかに(英国は別として)西欧や日本の大学よりも学業成績においても、人柄においても、より秀でた学士を輩出してきました。

 これは、大学において学生の多様性を確保することが、教育的効果を大いに上げる働きをするからだと私は考えています。

 今更、西欧や日本は、この方式に切り替えるわけにはいかないのが残念ですね。