太田述正コラム#9882005.12.6

<思い出される大学の頃(その2)>

3 宗教的教義とホロコースト否定論

 (1)統一教会について

 先週末の台湾の地方選挙で、政権与党の民進党は、国民党に大敗北を喫したのですが、今、ありとあらゆる敗因が取り沙汰されています。

 そのうちの一つに、副総統の呂秀蓮女史が、選挙直前に、世界基督教統一神霊教会(統一教会。Moonies)の教祖である文鮮明が台湾で主催した同教会の集会に出席した軽率さが挙げられています。

 (以上、http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/12/03/200328282012月4日アクセス)

 確かに、カルト教団の集会に出席して、脱税で米国で服役経験があり、女誑しとしてもかつて名をはせた文(http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/unifiedchurch.html12月6日アクセス)の講演を拝聴したことが、選挙に好影響を与えなかったことは確かでしょう。

 さて、私は大学一年生の時に、この統一教会のフロントである原理研究会の東大生グループから、そのアジトで、統一教会の教義・・文鮮明が書いた原理講論・・の説明を受けたことがあります。

 統一教会をカルト教団として糾弾する人でさえ、「その独特な聖書解釈と独自の世界観・終末観はある意味斬新でもあり・・・純粋に宗教的な解釈としてみると、その理論は細かいところまで矛盾がなく高度に理論化されています。」と言っているくらいであることからしても、この教義のできの良さが推し量れると思います(注4)。

 (注4)推し量るだけではいやだ、という奇特でヒマのある方は、統一教会のサイト(http://www.uc-japan.org/)で10数時間に及ぶ教義解説ビデオを見ることができる。こんなに教義をオープンにしている新興宗教もめずらしいのではないか。いかに統一教会が、教義に自信を持っているかが分かる。しかし、ビデオの区切りの冒頭だけをいくつか見た限りでは、統一教会の「秘教」・・誰でも知っているからもはや秘教ではない?・・に属するところの、文鮮明メシア説や合同結婚式の意義の話は、正面からは取り扱われていないようだ。

 

 余り他人は言っていませんが、私は、統一教会の教義は、旧約・新約聖書の朱子学的(陰陽二元論的)解釈だ、とその時受け止めました。

 この時に私が強く感じたことは、この種の教義を論破すること、すなわち誤りであることを証明すること、は絶対に不可能だということです。統一教会の教義が論破できるのであれば、キリスト教の、(カトリックであれ、プロテスタントであれ、)いかなる宗派の教義でも論破できることになるはずです。

 なぜか。

 統一教会の教義もキリスト教の教義も旧約・新約聖書の解釈論である点において変わりはないない上、統一教会の教義は、キリスト教の各宗派の教義同様、旧約・新約聖書を公理として厳密に論理的に組み立てられた公理系であるからです。

 となれば、攻撃できるのは、公理たる旧約・新約聖書だけです。

 しかし、これがまたむつかしい。

 旧約・新約聖書の権威を頭から否定するわけにはいかないところが、悩ましいところです。それならと、聖書のこことここは科学と相容れない、史実とは違う、と証明してみせたとしても、科学や史実を認めないと言われたらどうしようもありません。例えば、米国では進化論を信じない人の方が多い(コラム#386588)ことを思い出してください。また、相手が科学を史実を否定しない場合でもまだ安心はできません。ここはかくかくしかじかの比喩として受け止めなければならない、と言われ、信教の自由を振りかざされればそれで終わりだからです。

 そこで、もう一度言いましょう。

 公理(前提)を否定することが許されないところの、厳密に論理的な公理系は論破することはできない、ということです(注5)。

 (注5)だから、キリスト教関係の聖職者などが、統一教会脱会者の精神的アフターケアを行うのは良いとして、統一教会に「洗脳」された若者を「逆洗脳」しようとする(http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/unifiedchurch.html前掲)のは、おこがましい。

     では、統一教会のようなカルトが組織的に反社会的行動を行うことを防止したり、これら反社会的行動に対処したりするためにはどうしたら良いのか。

     指定された暴力団やカルトについては、組織的な犯罪(カルトについては霊感商法等)の予備や謀議を処罰できるようにした上で、司法的に前広かつ機敏に対処することが最善の方法であり、それ以外にないと思う。(犯罪の未遂・既遂まで至れば、これを取り締まることができるのは言うまでもない。)

(続く)