太田述正コラム#10929(2019.11.17)
<関岡英之『帝国陸軍–知られざる地政学戦略–見果てぬ「防共回廊」』を読む(その25)>(2020.2.7公開)

 大川周明自身も1922年(大正11年)に出版した大アジア主義の古典的著作『復興亜細亜の諸問題』(大鐙閣。復刻版は中公文庫、1993年)で、いち早くイスラームの重要性を指摘した先覚者である。
 大東亜戦争中にはイスラームの概説書である『回教概論』を刊行、戦後は東京裁判の被告とされながら獄中でコーランの訳注書『古蘭』を完成させており、日本のイスラーム研究史においても特筆されるべき足跡を残している。
 同年9月には、「イスラーム元年」の集大成ともいうべき画期的出来事があった。
 大日本回教協会<(注58)>の創立である。 

 (注58)「陸軍の対イスラーム関心の要因は陸軍の大陸政策にあったことは一貫していた。そのため、陸軍の対象地域の変遷は対露(ソ)、対中、対南方といった日本の大陸政策の対象の変遷と軌を一にしていた。そして、謀略・占領地統治といった軍事的要請がその背景にあったのである。従って、日本陸軍が対象としたイスラームとは極東(大東亜)のイスラームであったと言い得る。 ・・・明治・大正期からイスラームに関心を有していた日本陸軍と異なり、外務省のイスラームへの取り組みは比較的遅かった。・・・、戦間期の外務省において、中東政策ならばあったが、回教政策と呼べるものは無かったといってよい。・・・の姿勢が変化し,外務省が主体的に回教政策に着手するのは1938年であった。外務省の姿勢変化の要因は、一、陸軍との共同歩調、二、外務省独自の情勢判断、によるものである。前者は、陸軍も回教政策を開始したことにより中央で意思統一の必要が生じたためであり、・・・後者は、戦間期の中東外交の中での出先外交官の中で回教問題への着目が高まったためであり、・・・<こ>のように、中東情勢が大きく絡んでいる点が外務省のイスラーム認識の大きな特色である。・・・対イスラーム関心の高まりの背景として、1930年代における日本資本の中東市場への進出も重要である。・・・少なくとも 1938年時点では、中東地域は、急成長する市場として日本財界から注目を集めつつあったのは間違いない。・・・
 大日本回教協会は1938年9月19日、東京九段の軍人会館において各界名士200余名の発起人を揃え、華々しく出発した。発起人や執行部には、政財界、軍人、国家主 義者、学者等の著名人が名を連ねていた・・・
 回教協会<への補助金額からして、そ>の主務官庁は名実ともに外務省であり、 回教協会は外務省の外郭団体だったのである。歴代会長を陸軍将官が務めていた 回教協会であるが、陸軍との関係は希薄であった。・・・
 陸軍・外務省の対象地域については、陸軍=占領地、 外務省=日本及び中東を含む占領地以外の地域、といった形で分担・棲み分けがあった可能性も指摘できる。これは興亜院の設置(1938 年 12 月)に象徴される、 陸軍による東亜外交掌握の産物でもあったが、事実、回教協会は、かなり後まで陸軍の職掌である占領地回教工作へ関与することはなかった。」(島田大輔早大助手。2015年?)
http://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2015/05/3871b84b54e431738da22a51d075efd2.pdf

 会長に就任したのはなんと前内閣総理大臣、林銑十郎陸軍大将である。・・・
 更に驚くべきことに、協会の実務を取り仕切る総務部長に就任したのは、なんと・・・あの松室孝良なのだ。
 <彼は、>少将・・・を最後に予備役に編入されていた。・・・

⇒大日本回教協会について、関岡はヒトに着目し陸軍主導、島田はカネに着目し外務省主導、と見ているところ、私の役人時代の常識に照らせば、島田の方が正しいでしょう。(太田)

 大日本回教協会は1939年11月に東京回教団との共催で、東京上のと大阪日本橋の松坂屋デパートで「回教圏展覧会」を開催した。
 この展覧会にはイスラーム圏各地から集められたコーランや宗教用具、工芸品や民族衣装、写真やジオラマ、統計資料などが展示され、会期中の総入場者数は150万人を数えるという大盛況となった。・・・
 当時は折しも二ヶ月前にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発していたという状況にもかかわらず、この展覧会を機にイエメン、アフガニスタン、中国、満州からムスリム使節団が来日し、東京丸の内の日本倶楽部で世界回教徒大会が開催された。
 使節団は外務大臣、商工大臣をはじめ閣僚を表敬、国会議事堂、明治神宮、靖国神社と遊就館、理化学研究所、新聞社、中央卸売市場などを参観したほか、名古屋、京都、大阪、神戸を歴訪した。
 前年に開堂したばかりの東京回教礼拝堂は無論、それよりも創建が古い名古屋モスク<(注59)>と神戸モスクにも巡拝したことは言うまでもない。

 (注59)「1931年(昭和6年)に現在の名古屋市千種区に・・・日本初のモスクとして開設され、1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で焼失している」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF
https://blog.goo.ne.jp/bagus_2006/e/5caf58c98e1f99e21b87619bdbb6955e ←写真

 翌年4月には名古屋で「回教圏貿易座談会」が開催され、愛知県内や名古屋の財界人、外務省、マスコミ関係者などがイスラーム圏との通商問題について意見交換した。・・・

⇒神戸モスクは分からないでもありませんが、どうして、名古屋に、しかも、日本最初のモスクが、と、不思議に思い、少しネットで調べたけれど、分かりませんでしたが、同じ疑問が、名古屋でのこの貿易座談会についても湧いてきます。。(太田)

(続く)