太田述正コラム#11107(2020.2.14)
<丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む(その56)>(2020.5.6公開)

⇒丸山が、「権威」のなさそうな安積や大島まで持ち出したのはいかがなものでしょうか。
 また、西の場合、superstitionを迷信ではなく惑溺と訳したのは、私は、誤訳に近いと思います。<(注70)>

 (注70)比較対照してみていただきたい。
 superstition:「belief that is not based on human reason or scientific knowledge, but is connected with old ideas about magic, etc.」
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/superstition
 惑溺:「ある事に<、>・・・まどいおぼれること<、>・・・夢中になって、正常な判断ができなくなること。」
https://kotobank.jp/word/%E6%83%91%E6%BA%BA-664896

 恐らく、大島は、西に倣っただけでしょうね。(太田)

 「そういうまえおきの上に、さて問題の福沢が「惑溺」ということをどういう文脈の中で使っているか、という問題に入るわけであります。・・・
 『西洋事情二編』に「仏蘭西史記」というのが巻之三にあります。
 これは明治2年に書いておりまして明治3年に発行しております。・・・
 <その中で、>ロベスピエール独裁の生んだ「恐怖(テロル)の支配」を<論じているところで、>・・・「当時事を用いる者の説に、耶蘇(やそ)の宗旨は徒に人心を惑溺せしむるものなれば、之を廃すべしとて、寺院を毀ち、寺領を没収し、・・・」<と、>・・・キリスト教というのは人心を惑溺せしめるもので理に反する、といっているの<ですが、これは、>ちょうどさきほど紹介した仏教についての<安積の>非難と、用法が非常に似ております。
 ですから福沢が最初使用しているときは、さきの西周の場合とほとんど同じ意味に使っているということがわかります。・・・

⇒全く「わかりま」せん。
 惑溺の用い方について、安積と諭吉は、誰々が◎に惑溺する、ないしは、◎は誰々を惑溺させる、であるのに対し、西や大島は、◎そのものが惑溺である、であって、前の2人と後の2人とでは、惑溺を「同じ意味に使って<など>い」ないからです。
 いや、それ以前に、キリスト教は惑溺させる、という趣旨のことを言ったのは諭吉ではないのであって、諭吉は単にフランス革命当時の人々のそういう主張を紹介しているだけなのに、あたかも、そう諭吉が言ったかのように丸山が書いていること自体、誤りです。
 この部分を含め、私が紹介してきているものは、丸山の講演録ではあるけれど、その後、丸山自身が1987年2月に手を入れている(370)のですから、こういった単純かつある意味では重大な見落としをしているところからして、72歳当時の丸山は既に耄碌していた、と見ていいでしょうね。(太田)
 
 <ある人の著書に福沢が>明治7年の1月に書い<た>・・・序文・・・に惑溺という言葉が出てまいります。
 「・・・和漢の歴史家この趣意を知らず、我先入惑溺する所の説を主張して妄(みだり)に他人の善悪を評し、人の所業の一斑を見て我説に適せざるものあれば、定めてこれを悪人と為し、或は評して姦物と称し、他に見る可き美事あるも只管これを覆はんとするのみ。太史公が史記を著したるも其一例なり」。
 ここでは司馬遷の『史記』が勧善懲悪史観として槍玉に上っています。

⇒ここは、諭吉の勇み足ではないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98
 論じだすときりがないので、私見を開陳するのは止めておきますが・・。(太田)

 さらに、・・・頼山陽の『日本外史』のことではないかと思われます<が、>・・・日本の史書にもこういう例があるといって、・・・例えば、北条氏、足利氏の扱いをみると姦物ぞろい<的に書いて>ある。
 「当時の人愚なりと雖も、数十百年の久しき、甘じて此悪人に服従するの理あらんや。畢竟歴史家の惑溺に由て記事の趣旨を失したるのみ」と、こうあるのであります。
 西洋の歴史書にもこういう弊害はあるけれども、これほどひどくはない。
 日本の方が歴史家の惑溺は一層ひどい、と言っている。」(236~238)

⇒『日本外史』は、「『史記』の体裁にならい、武家13氏の盛衰を家別・人物中心に記述している」ところ、「史実に関しては先行諸史料との齟齬が多く、専門の学者たちからは刊行当初から散々に批判された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%96%E5%8F%B2 (「」内)
という代物であり、史書の名前に値しないところ、ここは、恐らく、諭吉の言う通りなのでしょう。
 (私は、『史記』と違って、『日本外史』は読んだことがありません。)
 なお、「徳川氏が今日の太平極盛の治をもたらした経緯を記した(すなわち江戸幕府の正統性を主張した)とする山陽自身の説明があったにも関わらずこの<説明>が世に出ることがなかったために幕末において「誤読」され続けて山陽の執筆意図と無関係な尊王攘夷やむしろ対極にある討幕論が生み出され・・・、<この説明>が世に出た明治以降も『日本外史』が江戸幕府擁護の(裏を返せば討幕に否定的な)歴史書であることが意図的に無視されてきた」(上掲)、というのは面白いですね。
 愚著の効用、といったところですか。(太田)

(続く)