太田述正コラム#11143(2020.3.3)
<丸山眞男『日本政治思想史研究』を読む(その2)>(2020.5.24公開)

3 日本政治思想史研究

 「ヘーゲルはその『歴史哲學緒論』<(注4)>においてシナ帝国の特性を次の様に述べてゐる。

 (注4)「「歴史哲学講義」はドイツの哲学者・ヘーゲルがベルリン大学で行った世界史の哲学に関する講義[(1770年8月27日 – 1831年11月14日)]をもとに死後、弟子や子らによって編集・出版された著作で、グロックナー版およびラッソン版が存在する。日本語訳としてグロックナー版では1932年発行の『ヘーゲル全集 第10』(岩波書店)に収められた「歴史哲学」、ラッソン版では、1930年発行の『ヘーゲル著作集 第1巻』(白揚社)に収められた「歴史哲学緒論」がそれぞれ紹介されている。
 [本書のうち、序論<(緒論)>がヘーゲル主義の歴史哲学における核心部分である。]」
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/ref/M2008120822174572561
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9 ([]内)

 「シナ及び蒙古帝國は神政的専制政の帝國である。ここで根底になってゐるのは家父長制的状態である。一人の父が最上に位してゐて、われわれなら良心に服せしめる様な事柄の上にも支配を及ぼしてゐる。この家父長制的原理はシナでは國家にまで組織化された。…シナにおいては一人の専制君主が頂點に位し、階統制(ヒエラルヒー)の多くの階序を通じて、組織的構成をもつた政府を指導してゐる。そこでは宗教關係や家事に至るまでが國法によって定められてゐる。個人は道徳的には無我にひとしい」<(注5)>

 (注5)「ヘーゲル<は、>・・・停滞的な東洋古代の世界を提示しつつ、これとは対照をなす発展の歴史を辿ったヨーロッパ史に焦点を当てた構成をとっている。ヘーゲルは、ヨーロッパにおける世界史の展開というものを、ギリシア・ローマ時代を萌芽として定めつつ、中世のゲルマン世界を経て、彼の講義を聴講した学生たちが生きた近代の立憲君主国家プロイセン王国へと移行するものとして提示し講義を展開した。そのため人々が因習や迷信に支配され未だに文明化を遂げていないアフリカなど熱帯地域や自然環境が厳しい極地は講義対象から除外されている。・・・
 ヘーゲルの文明論では、文明の発達は文明形成の初期段階でその性格が決まり、その後の発展過程も恒久的に規定されると考えられている。曰く「東洋人は、ひとりが自由だと知るだけであり、ギリシアとローマの世界は特定の人々が自由だと知り、わたしたちゲルマン人はすべての人間は人間それ自身として自由だと知っている…。この三区分は、同時に世界史の区分の仕方とあつかい方をも示唆するものです」。整理すると次のように図式化できる。・・・
 東洋的専制の中国文明・・・ポリス的市民からなるギリシア・ローマ文明・・・自由戦士からなるゲルマン文明・・・
 <そして、>ゲルマン<文明において、行きつ戻りつしつつも、>自由の前進が始ま<った>と見なし・・・自由がすべての人々に平等に享受される時代が<まず、ゲルマン文明に>訪れ<、次いでそれが世界に普及していくであろうこと、すなわち、>・・・自由の実現に世界史の本質があると結論付けた。・・・
 <このように、>ヘーゲルは弁証法を通じて人類社会の歴史的発展の契機を葛藤と対立に求め<つつ>、歴史の展開を法則的に捉えようとした。・・・ヘーゲルの歴史認識はヨーロッパ人の伝統的な歴史観と200年前のドイツの歴史状況を反映したものであ<り、>また、<それ>は超越的な思弁に基づく歴史解釈であって、科学的な手順を踏まえた調査や研究の産物ではない・・・故、史料実証性を重視し個別事例の検討によって過去の復元を試みたり、時代特性の理解に専念する現代歴史学の立場とは大きく異なっている<が、>・・・こうした歴史観は、唯物主義をもとに史的唯物論を打ち出すマルクスやエンゲルスに、そしてフランクフルト学派に批判的に受け継がれた。
 フランシス・フクヤマといった現代の知識人の歴史観にも影響を与え、方法論的に異なるものの歴史過程の合理性を重視した近代化論やヨーロッパ中心史観といった点で共通点をもつ歴史理論を提示した論者が多数見られた。」(上掲)

⇒例えば、牧野雅彦(注6)は、「ヘーゲルが「弁証法」という論理により提示した・・・「啓蒙主義的進歩史観」・・・に対する批判的な意識を、ランケ以来のドイツの歴史主義的思考は一貫してもっていたの<だが、>ウェーバーはそれを徹底して継承した・・・

 (注6)1955年~。横須賀高校卒、京大法卒、名大院博士課程満期退学、同大法学部助手、講師、助教授、広島大助教授、教授。この間、名大法博。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E9%9B%85%E5%BD%A6 (下の[]内も)

 近代ヨーロッパの文化と社会をもたらしたものは、・・・いわば偶然的な条件の符合とそれにもとづく因果の連鎖の結果であって、決してはじめから定められたごとく必然的に進行する進歩なり発展なりの結果というわけではない、というのがウェーバーの考え方<だった。>」(『マックス・ウェーバー入門』[(2006年)]
https://blog.goo.ne.jp/sasada/e/3c24800cda97a380c491583bf32b0c3b
、と、ヘーゲルとウェーバーの史観を、あたかも対蹠的なものであるかのごとく、紹介しています。
 しかし、支那史、古典ギリシャ/古代ローマ史、及び、欧米史、が、それぞれ、「いわば偶然的な条件の符合とそれにもとづく因果の連鎖の結果」たる別個のものである、と見ていた点においても、また、欧米史が単一のものであって、かつそれのみが真に非停滞的/発展的な歴史であって、それは、「自由の実現」(ヘーゲル)(上出)ないし「現世拒否的にして現世支配的な合理化の進展」(ウェーバー)
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ko_rationalization.html
の歴史、と総括できる、というのですから、両者の史観は、(時代こそ若干ズレてはいるけれど、どちらも広義の19世紀に生きたドイツ人識者故、不思議ではありませんが、)大同小異である、というのが、私の見方です。
 で、丸山は、「マルクス<は>『資本論』第二版への後と書きで・・・私は、自分があの偉大な思想家<ヘーゲル>の弟子であることを公然と認め<た>(吉田浩「M・ウェーバーによるヘーゲル批判の特質とその問題点」(2003年)より)」
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/files/public/0/205/20170929141639571552/KJ00004825350.pdf
という話にひっかけて申し上げますが、青年時代、「あの偉大な思想家マルクスの弟子で」あったらしい丸山は、その後、ヘーゲル/ウェーバー的史観とほぼ同じものを抱懐するに至り、生涯変わらなかったのではないか、という私の仮説を、いささか時期尚早かもしれませんが、ここで提示しておきます。(太田)

(続く)