太田述正コラム#11147(2020.3.5)
<丸山眞男『日本政治思想史研究』を読む(その4)>(2020.5.26公開)

 「シナ歴史の「非歴史」性は、内部に分裂があるからでなくむしろ逆にあまりに分裂がないからである、というヘーゲルの解釋にはさすがに問題の本質的な點を衝いて鋭利なものがある。・・・」(5)

⇒ヘーゲルは、欧米史についての、欧米中の欧州、就中ドイツの後進性のコンプレックスを過剰補償したいがために誇張された欧米文明・・実はアングロサクソン文明、欧州文明、米国文明の総称でしかない・・の普遍性・優位性意識に基づき、漢人文明を貶める、という結論が先にあって、支那史の勉強など碌に行わずして、丸山が総括したようなことを書いたわけですが、そういうアプローチでなくして到達した私の、支那史の「非歴史」性論の補助線は、漢人文明における弥生性の脆弱さ、であった(コラム#省略)ことを思い起こしてください。(太田)

 「<江戸時代において、>農業生産から遊離して庶民の勤勞の上に徒食する階級と化した武士の存在根據については、戰亂が鎮定して平和が續くと共に當然問題となつて來、山鹿素行は「士は不レ<(レ点(以下同じ)(太田))>耕してくらひ、不レ造して用ひ、不レ賣買して利する、その故何事ぞや。…士として其職分なくんば不レ可レ有。職分あらずして食用足しめんことは遊民と可レ云」といふ反省を以てその「士道」解明の筆を起さねばならなかつたが、さうした武士支配の理由づけにしても、朱子學者雨森芳洲<(注9)>の言葉に典型的に表現されてゐる如く、「人に四季あり。曰く士農工商<(注10)>。士以上は心を勞し、農以下は力を勞す。心を勞する者は上に在り。力を勞する者は下に在り。心を勞する者は心廣く志大にして慮遠し。農以下は力を勞して自ら保つのみ。顚倒すれば則ち天下小にしては不平、大にしては亂る」(「橘窓茶話」巻上)として儒教經書に典據が求められた。

 (注9)1668~1755年。「京都で医学を学び、・・・江戸へ出て朱子学者・木下順庵門下・・・中国語、朝鮮語に通じ、対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好実務にも携わった。・・・自身が日本人である事を悔やみ「中華の人間として生まれたかった」と漏らした<と>・・・伝わる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%A3%AE%E8%8A%B3%E6%B4%B2
 (注10)「士農工商とは<支那>の春秋戦国時代(諸子百家)における「民」の分類で、例えば『管子』には「士農工商四民、国の礎」と記されている。士とは周代から春秋期頃にかけてまでは都市国家社会の支配階層である族長・貴族階層を指していたが、やがて領域国家の成長に伴う都市国家秩序の解体とともに、新たな領域国家の統治に与る知識人や官吏などを指すように意味が変質した。この「士」階層に加えて農業、工業、商業の各職業を並べて「民全体」を意味する四字熟語になっていった。四民の順序は必ずしも一定せず、『荀子』では「農士工商」、『春秋穀梁伝』では「士商農工」の順に並べている。
 なお、<支那>では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」が重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の儒教である。
 士農工商の概念は奈良時代までには日本にも取り入れられ、続日本紀卷第七では「四民の徒、おのおのその業あり」などと記されている。日本における「士」がいつごろ本来の意味から武士を意味するように改変されたかは明確ではないが、遅くとも17世紀半ばまでにはそのような用法が確立とした思われる。文献的証拠として、・・・1603年・・・にイエズス会の宣教師が出版した『日葡辞書』と呼ばれる辞典には「士農工商」の項目が収録されており、また宮本武蔵『五輪書』(1645年)地之巻に「凡そ人の世を渡る事、士農工商とて四つの道也。(中略)三つには士の道。武士におゐては、道さまざまの兵具をこしらゑ、(後略)」といった用例がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86
 「<これは、>近世の国制を中国古代の封建制になぞらえて理解しようとした儒学者などによって使用されたのをきっかけに,江戸時代の国家,社会に関する支配イデオロギー上の重要なキーワードとして広く一般に使用されるようになった<ものである。>」
https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86-74628

⇒江戸時代に「士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが、実証的研究から明らかとな<った。>」(コラム#10774)ところ、この実証的研究は、1990年代頃から進められたものである
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86 前掲
以上、丸山が、江戸時代に士農工商なる身分制度があったと思い込んでいたことを責めるわけにはいきますまい。
 少なくとも、武士、平人(百姓・町民)、賤民(えた・ひにん)、その他(医師等)、という身分制は存在した(上掲)わけですしね。(太田)

(続く)