太田述正コラム#10812006.2.15

<ムハンマドの漫画騒動(その5)>

 「狂気」の原因は、イスラム教が、(イスラム教が生まれた)7世紀のアラブ人社会に遡る世界観と生活習慣・・宗政一致・女性差別・種々の禁忌、シャリア(イスラム法)等々・・を現代まで持ち越しているために、イスラム世界の人々が適応障害を起こしているところにあります。

 そんなばかげたことになったのは、イスラム教の聖典であるコーランが神の言葉であるとされ、無謬であると考えられているからです。更にこれに伴い、コーランが啓示された宗祖ムハンマドもまた聖なる存在とされ、彼の言動を記したハディスもまた、無謬であると受け止められているからです。

 無謬なのですから、柔軟な解釈をしたり、寓話(symbolic stories視したりすることによって、イスラム教の教義やイスラム教徒の行動規範を時代に即して「改革」・「発展」させて行くことができないのです。

 これは、イスラム教徒が現代に適応しようとしたら、イスラム教を捨て去る以外にないことを意味しています。

 しかし、アングロサクソンの狡猾なところは、こんなことは決して言わないことです。

 他方、欧州の人々からは、このような趣旨の発言が最近頻繁に聞こえてきています(注11)が、私には、ほくそ笑んでいるアングロサクソンの姿が見えるような気がします。

 (注11)現法王ベネディクト16世の生徒でありかつ友人である神父(Father Joseph Fessio, SJ, the provost of Ave Maria University in Naples, Florid, US)は、イスラム教は、神が預言者「を通じて」語った言葉を(カトリック)教会が「解釈する」という柔軟な構造を最初から持っていたキリスト教とは決定的に異なる、とした上で、しかるが故に、法王はイスラム教が「改革」することは不可能であると考えておられる、と今年の年初に言明した(http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/HA10Ak01.html。1月10日アクセス)。

     また、ゴッホが監督を務めた映画の制作者である、元イスラム教徒でオランダ国会の議員であるAyaan Hirsi Ali女史(黒人)は、1:イスラム教は、コーランが神の言葉などでなく人間がつくったものに他ならないことを認めなければならない、2:ムハンマドは暴君(tyrant)で変質者(pervert)である、3:例のムハンマドの漫画はありとあらゆるところで掲示されるべきだ、と主張しているhttp://service.spiegel.de/cache/international/spiegel/0,1518,399263,00.html。2月13日アクセス)。

 ここで思い出されるのは、アングロサクソン、とりわけ英国による分割統治の歴史(http://en.wikipedia.org/wiki/Divide_and_rule、2月15日アクセス)です。

 英国による分割統治の典型例がかつてのインドです。

 英国は、多数の藩王国をそのまま残し、その内政への介入を最少限度に留めつつ、かつまた様々な宗派相互の対立を煽らないまでもあえて放置しつつ(注12)、極めて少数の英国人官僚と軍人をインドに駐留させるだけで、効率的かつ効果的にインド亜大陸全体を支配したのです。

 (注12)そもそも、イスラム教を除けば、雑多な土俗的諸宗派が並存していたに過ぎなかったインド亜大陸において、これら土俗的諸宗派にヒンズー教という名称を与え、その基本的性格・・古来から続く、単一の、布教をしない、寛容な宗教・・までも「捏造」したのは宗主国英国だったとする説が有力だ(http://www.sacw.net/India_History/dnj_Jan06.pdf。2月15日アクセス)。(この有力説への異論についてはhttp://www.atimes.com/atimes/South_Asia/GK12Df01.html20051112日アクセス2月15日アクセス)参照。)

     インド亜大陸における印パの分裂的独立と現在まで続いている印パ対立は、英国の分割統治の遺産であり、現在もなおアングロサクソンによるインド亜大陸コントロールを支えている。