太田述正コラム#11175(2020.3.19)
<丸山眞男『日本政治思想史研究』を読む(その13)>(2020.6.9公開)

 「ところでかうして天地萬物は悉く「形而上」<(注37)>の理と「形而下」の気の結合より成つてゐるがその際、理は物の性を決定し、気は物の形を決定すると考へられる。」(23)

 (注37)形而上学の「形而上」とは元来、『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述の用語であったが、明治時代に井上哲次郎<(既出)>がmetaphysicsの訳語として使用し広まった。<支那>ではもとmetaphysicsの訳語に翻訳家の厳復による「玄学」を当てることが主流であったが、日本から逆輸入される形で「形而上学」が用いられるようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6

—————————————————————————————–
[形而上/形而下と理/気]

〇形而上/形而下

 「形而上学の学問的な伝統は、直接的には、それらを引き継いだ古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『形而上学』に始まる。彼の著作は西暦30年頃アンドロニコスにより整理されたが、その際『タ・ピュシカ』(希: τὰ φυσικά, ta physika、自然(についての書))に分類される自然学的書作群の後に、その探求の基礎・根本に関わる著作群が置かれた。その著作群は明確な名を持たなかったので、初期アリストテレス学派は、この著作群を、『タ・メタ・タ・ピュシカ』(τὰ μετὰ τὰ φυσικά、自然(についての書)の後(の書))と呼んだ。これが短縮され、『メタピュシカ』(希: μεταφυσικά、羅: metaphysica)として定着、後の時代の各印欧語の語源となり、例えば英語では「メタフィジックス」(metaphysics)という語となった。
 上記のごとく、書物の配置に着目した仮の名称「meta physika(自然・後)」が語源なのだが、偶然にも、その書物のテーマは”自然の後ろ”の探求、すなわち自然の背後や基礎を探るものであり、仮の名前が意味的にもぴったりであったので、尚更その名のまま変更されずに定着した。・・・
 フランシス・ベーコンによれば、学問を形而下学 (physics) と形而上学の二つに分け、前者は原因のうち質料因や作用因を探求するものとして、自然・博物学(自然誌)と形而上学の中間に位置づける。形而上学は形相因や目的因を扱うものとしている。<また>・・・、形相とは物そのもの、あるいは物の性質を構成する基本的要素としての単純性質のことであって、その数は無限にあるようなものではなく、限定されたものである。・・・これは自然科学の領域だけのことではなく、判例やコモンローの中にも隠されており、慎重な観察や体系的探求により発見できるとする」(上掲)

〇形相/質料(一元論)

 「「質料」(ヒュレー)と「形相」(エイドス)を対置して、内容、素材とそれを用いてつくられたかたちという対の概念として初めて用いた人は、・・・アリストテレスである。
 プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考えたのに対し、アリストテレスは、あるものにそのものの持つ性質を与える形相(エイドス)は、そのもののマテリアルな素材である質料(ヒュレー)と分離不可能で内在的なものであると考えた。・・・
 大雑把に言えばプラトンのイデアは判子のようなものであるが、アリストテレスのエイドスは押された刻印のようなものである。イデアは個物から独立して離在するが、エイドスは具体的な個物において、しかもつねに質料とセットになったかたちでしか実在し得ない。
 エイドスが素材と結びついて現実化した個物をアリストテレスは現実態(エネルゲイヤ)と呼び、現実態を生み出す潜在的な可能性を可能態(デュナミス)と呼んだ。今ある現実態は、未来の現実態をうみだす可能態となっている。このように、万物はたがいの他の可能態となり、手段となりながら、ひとつのまとまった秩序をつくる。
 アリストテレスはまた、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。ここで肉体は質料にあたり、魂は形相にあたる。なにものかでありうる質料は、形相による制約を受けてそのものとなる。いかなる存在も形相のほかに質料をもつ点、存在は半面においては生成でもある。
 質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。
 すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8

〇理/気(理気二元説(二元論))

 「宇宙万物はみな陰陽の交錯によって生ずるが,陰陽は気であり,気は万物の形をなす質料である,陰陽を交錯させる原因が理で,宇宙万物生成の原理であるという。程頤(伊川)が古来の気の哲学に理を加え,朱熹(朱子)により大成された。」
https://kotobank.jp/word/%E7%90%86%E6%B0%97-657292
 「宇宙の存在原理・道徳規範としての理と、物質・現象としての気。」(同上)

⇒私は、理気二元論は、宋代の儒者たる程頤/朱熹が、元代に復活していた支那の景教(ネストリウス派キリスト教)のアリストテレス的教義(前出)、就中、アリストテレスの形相/質料論、を継受したものだ、という仮説を抱くに至っている。
 但し、程頤も朱熹も、景教と共に、というか、景教を通じて、祆教(ゾロアスター教)、摩尼教(マニ教)・・併せて三夷教・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%B4%BE
についてもある程度知識があったと考えられるところ、祆教も摩尼教も二元論であること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96
から、自分達が形相/質料論を二元論的に読み替えることに抵抗感はなかったのではないか、とも。
 また、儒教の経書でもある詩経や易経等に由来する陰陽論が、程頤/朱熹において、理(形相)の原理として踏襲されている点に関しても、理はアリストテレスの形相とは異なり、二元論的に再構成されており、その結果、アリストテレスの哲学は一元論であったのに対し、程頤/朱熹の儒教においては二重に二元論になっている。(太田) 
—————————————————————————————–

⇒丸山は、理=「形而上」、気=「形而下」、であることが当然のように書いていますが、何らかの説明が望まれますし、私としては、理=エイドス(形相)、気=ヒュレー(質料)、とした方が、より適切であったのではないか、と、思います。(太田)

(続く)