太田述正コラム#11197(2020.3.30)
<2020.3.28東京オフ会次第(その3)>(2020.6.20公開)

B:「丸山眞男『福沢諭吉の哲学 他六篇』を読む」シリーズは面白かった。
 本だけを読んでいて実社会を知らない大秀才が、いかに危ういか、ということだな。
 ところで、私が提供した本の『帝国陸軍–しられざる地政学戦略–見果てぬ「防共回廊」』が、太田さんによってシリーズで取り上げられたわけだが、この著者の関岡氏が、奥さんを亡くしていて、昨年孤独死した。
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B2%A1%E8%8B%B1%E4%B9%8B )
O:それは知らなかった。
 奥さんに先立たれた男は意気消沈してしまうことが少なくない。
 私のように離婚した男は最強かも、ということにしておこうか。
C:「武家(武士)/封建制」創出が成功を収めたことが検証されたのが蒙古襲来時、という理解で良いか。
O:それまでにも、朝鮮からの海賊に対処できた、といったことがある。
 そういったことを、次回の、武家(武士)を中心とした平安期以降の日本史で取り上げることになろう。
D:私が提起した神仏習合とは何ぞや、との疑問に太田さんが一応答えを出してくれたわけだが・・。
O:それにつけても、思ったのは、神社が何を祀っているのか、それが仏教の何と習合していたのか、について、どうして祀っているのか、どうして仏教のコレコレと習合していたのか、を神社側も研究者達も余り追究してこなかったのではないか、ということだ。
 また、神仏習合に関わった人々に関しても、最澄にしても空海にしても、どうして遣唐使の一員として唐に行ったのか、が余り追究されてきていないのではないか。
 それどころか、私の学生時代、彼らが遣唐使の一員として唐に渡ったことすら教わった記憶がない。
 更に言えば、名古屋オフ会の時の「講演」で取り上げたところの、天武朝で何度も起こった「変」、についてだって、個々の「変」の名前、というか当事者、こそ教科書に書いてあったけれど、どれも権力闘争的なものとして片づけられ、何か名分があったのではないか、とか、これら諸「変」を俯瞰して共通の要因があったのではないか、といった問題意識など、全く窺えなかった。
 戦国時代ですら、単に、権力欲だけで戦をしたり成り上がったりした者は少なかったことからして、天武朝の時代だってそうだったのではないか、と、彼らはどうして考えないのだろうか。
 (コラム#11196で、権力闘争(だけ)史観に立脚したコラム
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59917?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=list
を、紹介したところだ。)
 日本史には、この2件以外にも、少し頭を巡らせば、解明されるべき疑問が山ほど出て来るというのに、学者達が、(こう言っては何だが、歴女が大好きな・・失礼!・・トリビア的なことばかり「研究」していて、)これら解明されるべき諸疑問を追究する姿勢に乏しいのは残念だ。
E:武士は本来騎馬武者であったわけだが、遊牧民族の馬とは違って去勢しないものだから、牡馬は気性が荒く、乗りこなすのが容易ではなかった。
 このことを、キリシタン宣教師がびっくりして書いている。

—————————————————————————————–
[騸馬(せんば。去勢された牡馬)がいなかった日本]

 「食肉として活用されていた牛・羊の種牡に去勢術を施す事によって、血統管理が容易になり、肉にある独特の臭みが無くなり肉質が向上し、旨味も増大する理由で去勢が行われ<たところ>、遊牧民の大切な移動手段であった馬に去勢を行っていた目的として、『繁殖用馬以外の生殖機能を無力化し、馬の頭数調整および管理の容易化』・『気性を抑えて扱いやすくする』が挙げられます。・・・
 しかし、遊牧民族が旅する事なく、去勢術が伝播しなかった国があります。それが四方を海に囲まれた島国・日本でした。・・・
 <その結果、>ある意味で日本独自の乗馬思想である『気性の荒い馬(牡馬)を乗りこなしてこそ一人前』が生まれた<、>と思<われるので>・・・す。・・・
 <但し、面白いことに、>袴は皆様ご存知の様に日本独特の衣装ですが、こ<の>ルーツ<は>、遊牧民が乗馬専用衣装として考案したズボン・・・<で>す。」
http://farmhist.com/category4/entry69.html ←元岐阜県の観光牧場飼育員のサイト
—————————————————————————————–

O:かなり強引に、馬を日本に導入し、武士を騎馬武者に仕立て上げたけれど、そこまで頭が回らなかった、ということだろう。
 (馬の導入は、八幡宮の主神に、日本に馬を導入した応神天皇が「起用」されたくらい、由々しい出来事だったわけだ。)
E:ところで、太田さんの参考になろうか、と、ネットで見つけた、神戸大の井上舞の「14世紀播磨の寺社縁起にみる「新羅」」(2009年)という論文をプリントアウトしたので置いてゆく。
O:どうもありがとう。
B:防衛省は最も不透明な官庁と言われているが・・。
O:(前から指摘しているように、)天下りに関して言えば、防衛庁/防衛省ほど透明性の高い官庁はない。
 天下り先の企業でもらう給料がそっくりそのまま、当該企業から防衛庁/防衛省が調達する装備品の積算価格に上積みされる、という意味で。
 武器輸出を所管するようになった現在では少し事情が変わってきているのではないかと思うけれど、防衛庁/防衛省には所管する〇〇政策などなきに等しい。
 それに対し、普通の官庁だと、諸○○政策を持っていて、それを天下り先の給料に換算するのは簡単ではなく、だから、不透明にならざるをえない。
 武器輸出といえば、未だに、(部品レベルのものは除き、)国産装備の輸出はできていなさそうだが、問題が価格だけではないことは明らかだ。
 絶対に実戦で使われることがない装備品、だから、真剣に評価されることがないまま納入されてきた装備品、しか、戦後日本の企業は作ったことがないので、現在の日本の装備品は、基本的に使い物にならない、と、思った方がよいのだ。

(完)