太田述正コラム#11233(2020.4.17)
<高橋昌明『武士の日本史 序・第一章等』を読む(その17)>(2020.7.8公開)

⇒武士の武器・武具が、権力的なものとは余り縁のなさそうであったところの、蝦夷、由来のものであったことは高橋も認めているのですから、これら武器・武具そのものが「権力」の「代表的具現」であったとは言い難いのであって、これら武器・武具の広義の「装飾」が「権力」の「代表的具現」であった、と、高橋は書くべきでした。
 ここでも脱線しますが、ハーバーマスの名前くらいは知っているけれど、その著作を読んだことがない私のような人間には意味不明の「代表的具現」などという言葉を使って欲しくなかったですね。
 で、ちょっと調べてみて不思議に思ったのは、ハーバーマスの国、ドイツの、自由都市の伝統のあるブレーメン、の中央広場に立っている、どちらも15世紀にたてられた、様式美溢れるところの、市庁舎とローラント像、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%88%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E5%83%8F
は、権力ならぬ自治を象徴するものですが、これらに「代表的具現」という言葉は使えないとすれば、一体、ハーバーマスは、なんという言葉を使うのでしょうね。
 以下、またもや次元の異なる、かつ、とりあえずの意見程度の、話、ですが、欧米における近代って、私見ではアングロサクソン文明のことであるところ、同文明における公共(public)って、公的セクターだけではなく、17世紀以降は大私的セクターにも係るものにもなっていることが、ハーバーマスには分かっていないような気がします。
 イギリス英語では、株式会社は、public limited company です!(注31)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%9C%89%E9%99%90%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 (注31)16世紀半ば以降、モスクワ会社(1555年)等の勅許会社が設立されるようになり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E4%BC%9A%E7%A4%BE
これらは貿易商人の組合に近い性格を持っていて、これらと、イギリス王室の後ろ盾の下に行われていたところの、略奪、探検、冒険航海の色彩の強い世界の海への進出、とが手を携えて、プロト欧州文明によるイギリス包囲網打破が図られたところ、これらを引き継いだ形で17世紀に入って設立されるようになったのが株式会社たる東インド会社等だった。
 念のためだが、東インド会社(East India Company(EIC))の社名には’public’は入っていない。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE
 ちなみに、イギリスのパブリックスクール(public school)が私立であるにもかかわらず、publicと呼称される所以は、それが、誰でも「自由」に志願することができ入学できる可能性があるところの、「親の出生や身分に関係ない学校」だからだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB

 で、私人の公的セクターとの関りは、イギリスの国籍を取得したり離脱しなかったりすることで成人後選挙権が付与され、各級議会の議員を投票で選ぶことができるが、自分達が選んだ議員達によって構成されるところの、主権を有する中央議会・・その中の上院の存在については取敢えず忘れていただきたい・・の諸決定には基本的に無条件で従いそこには個人の自由などない、というものですし、私人と大私的セクターとの関りは、当該大私的セクターの株式を取得することで株主総会参加権を取得し、当該大私的セクターの取締役会の構成員達を加重投票で選ぶことができるが、自分達が選んだ取締役等達の諸決定には基本的に無条件で従いそこには個人の自由などない、というものです。
 つまり、「近代という時代」ならぬ「アングロサクソン文明」においては、「自由」をメルクマールとするところの、「公権力の領域と私人の領域の空間的な分割・分離」、など基本的にないのです。
 (ここで「基本的にない」というのは、「公的セクターと大私的セクター群以外にはかろうじてある」という意味ですからね。)
 機会があったら、この議論をもう少し掘り下げようと思っています。
 とまれ、福澤諭吉が官界を目指さない青年達への島津斉彬コンセンサス注入に注力したのは、「注31」で紹介したような、イギリスにおける大私的セクターの公的性格、とりわけ濫觴期におけるそれ、に触発され、彼らを日本におけるそのような大私的セクターの担い手に仕立て上げると共に、これら大私的セクターを島津斉彬コンセンサス完遂のための重要な装置として機能させたいが故だった、と、私は思うに至っています。(太田)

 「なお、日本の武士が、なぜ私戦の抑制程度には無用の長物の感もある騎射と鎧にこだわったかといえば、なにごとにも圧倒的な影響力のあった中国で、5世紀以降の名将たちが狩猟・遊牧民族が特技とする騎射に対抗するため、馬上の弓射に習熟していたからだろう。

⇒高橋が、すぐ上の一段落で書いていることと、以下の二つの段落で書いていることは矛盾しています!
 なお、「5世紀以降の<支那の>名将たち<は、>・・・馬上の弓射に習熟していた」ですが、紀元前2世紀後半には、「漢王朝も騎兵戦術を学び、自前の騎兵を育てていた」ところ、当時、既に、現在にまで名が残る、衛青、霍去病、李広利、といった「馬上の弓射に習熟していた」「名将たち」がいた
https://books.google.co.jp/books?id=sL8_DwAAQBAJ&pg=PT41&lpg=PT41&dq=%E6%BC%A2%EF%BC%9B%E9%A8%8E%E5%85%B5&source=bl&ots=MTdAcd_bzX&sig=ACfU3U3-QxQyIb8XASqWrfzkrKUeBDfUqg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjPgLyOyuzoAhVYfXAKHZN7DwsQ6AEwB3oECAwQKw#v=onepage&q=%E6%BC%A2%EF%BC%9B%E9%A8%8E%E5%85%B5&f=false
のを、一体どうしてくれる、と、言いたくなります。(太田)

 彼らは西方や北方の戦いで、日本の両当式挂甲を着け、歩兵の弩の援護を受けながら騎射の戦闘を展開した。
 それらは日本でも「弓馬の戦闘は夷(えびす)の狩猟民のもとからの習慣であり、平民の十でもその一に敵することができない」(『続日本紀』承和4年2月8日条)といわれるように、騎射戦にたけたエミシと渡りあうために必要な武装であり、熟達しなければならない戦技だった。」(53~54)

⇒高橋の、より根本的な問題は、「日本の武士」は、私見では、西方で、朝鮮半島経由で大陸からやってくる可能性があるところの、潜在敵、を抑止し、抑止が敗れた場合に撃退することを最大の目的として、(封建制とセットで)設計された国家武力の担い手であった、という認識が完全に欠如している点にあります。(太田)

(続く)