太田述正コラム#11324(2020.6.1)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その38)>(2020.8.23公開)

⇒私は、『神皇正統記』の評価は、下掲に尽きている、と思っています。↓
 「我妻建治<(注113)>・・・によれば、『神皇正統記』は徳による「正理」の流れを説明するものであるという。つまり、皇統の継承と断絶、および皇室に限らず家系の興亡は、「正道」「有徳」「積善」があるかどうかに依っているという。・・・

 (注113)あがつまけんじ(1933年~)。東北大卒、同大博士、成城大教授、学長、同大名誉教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E5%A6%BB%E5%BB%BA%E6%B2%BB

 <そして、その上で、>総合評価では最大の名君とする後醍醐天皇であっても、その政策を全肯定する訳ではなく、部分的には痛烈な批判の対象とした。逆に、相手がたとえ武家であったとしても、正しい政治を行ったものは評価した。承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇は非難され、逆に官軍を討伐した北条義時とその子北条泰時のその後の善政による社会の安定を評価して、「天照大神の意思に忠実だったのは泰時である」という論理展開をした<、とする。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%9A%87%E6%AD%A3%E7%B5%B1%E8%A8%98 前掲
 私の言葉に翻訳すれば、日本では、歴代天皇が人間主義を掲げてきたからこそ、権威の担い手たる皇統が断絶することなく続き、この権威の担い手の下での権力の担い手も、人間主義的統治を心掛けてきたのであり、権力の担い手は人間主義的統治の心掛けが不十分であれば更迭され、権威の担い手すらも人間主義の掲げ方が不十分であれば天皇家の枠内で家系が更迭される、といったところでしょうか。(太田)

 「慈遍<(注114)>は天台宗の僧であるとともに、吉田家出身の神道家でもあり、『旧事本紀玄義(くじほんぎげんぎ)』や『豊葦原神風和記(とよあしはらしんぷうわき)』によって、伊勢神道系の神道理論を発展させた。

 (注114)「生没年不詳・・・卜部(吉田)兼顕の子,吉田兼好の弟。若くして比叡山延暦寺に登り,出家・受戒する。・・・後醍醐天皇に厚く信任された天台座主慈厳僧正に仕え,法印に任ぜられた。・・・<また、後に>南朝側にた<つこととなる>・・・伊勢外宮の祀官度会(わたらい)(檜垣)常昌と<も>交わって・・・神道も研究<し、>・・・後醍醐天皇に召されて仏法ならびに神道のことを奏上した。・・・。南北朝の動乱においては南朝方に仕えた。」
https://kotobank.jp/word/%E6%85%88%E9%81%8D-1080726
 「慈遍は、神が本質で仏が垂迹とする「神本仏迹説」<を>唱え<た。>」
https://books.google.co.jp/books?id=CY4lDwAAQBAJ&pg=PT93&lpg=PT93&dq=%E6%85%88%E9%81%8D&source=bl&ots=Le7zNRQhC-&sig=ACfU3U3GKxoSdyrEDwEdW4UbgDWGqSmvBA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjymoCi59jpAhXIc94KHeFKDnE4ChDoATAJegQIBhAB#v=onepage&q=%E6%85%88%E9%81%8D&f=false
 そして、「天皇を神意に基づく神国日本の永遠の君主とする立場をとった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E9%81%8D

 その中で、神々の世界(冥)から人間の世界(顕)の展開を説き、人間界の中にあって一貫して神の純粋性を保つ存在として天皇を位置づけた。」(74)

⇒「注114」は、慈遍の神道理論を端的に神本仏迹説としているところ、それを所与として申し上げれば、人間主義化を唱える宗教が現世利益をウリにする宗教を客寄せに使う・・密教(注115)がそうです・・仏本神迹はありえても、その逆である神本仏迹は、およそ客寄せにならないので、成り立ちえない、よって、慈遍説は間違っている、というのが私の見解です。

 (注115)「初期密教(雑密)は、特に体系化されたものではなく、祭祀宗教であるバラモン教のマントラに影響を受けて各仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで現世利益を心願成就するものであった。・・・新興のヒンドゥー教に対抗できるように、本格的な仏教として密教の理論体系化が試みられて中期密教が確立した。中期密教では、・・・釈尊が説法する形式をとる大乗経典とは異なり、別名を大日如来という大毘盧遮那仏・・・が説法する形をとる密教経典が編纂されていった。『大日経』、『初会金剛頂経』・・・ やその註釈書が成立すると、多様な仏尊を擁する密教の世界観を示す曼荼羅が誕生し、一切如来からあらゆる諸尊が生み出されるという形で、密教における仏尊の階層化・体系化が進んでいった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99

 もとより、神道(注116)を単なる現世利益教、と捉えてはいけないのですが・・。(太田)

 (注116)「<日本では、>古来より、地域共同体の守護神である氏神や鎮守神へ、村落などの氏子の共同体成因の集団的意志として、雨乞い、日乞い、虫送り、疫病送りなどの現世利益を得ることを目的とした祈願行為が行われていた。現代でも、「祭」のなかに、その伝統文化が根付いている。 現在では、個人の心願に応えるために、神前にて、神職や巫女により祝詞奏上や神楽舞奉奏がされ、祈願者の玉串拝礼により得られるとする。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%B8%96

(続く)