太田述正コラム#11382(2020.6.30)
<末木文美士『日本思想史』を読む(その65)>(2020.9.21公開)

 「・・・かつての通説とは逆に、江戸中期には世俗化が進み、宗教的世界がやや背景に退くように見えるが、それは一時的なことに過ぎず、再び幕末には宗教的な機運が高まる。・・・
 ・・・<平田>篤胤の最初の本格的な著作は『鬼神新論』<(注206)>(1805完成)であり、そこでは、新井白石の『鬼神論』などの鬼神否定論を再批判して、鬼神の存在を主張している。

 (注206)「・・・「鬼神論」とは、「鬼神とは何か」、「鬼神は存在するか否か」、「鬼神の祭祀はどうあるべきか」といったことについて、これまで多くの儒家の間で交わされてきた議論でしたが、・・・一門を立ち上げた篤胤は、まず、・・・儒学者たちの歴史ある土俵に立ち入って、日本の神こそが儒教でいうところの「鬼神」であること、そして、「鬼神」であるところの日本の神は、間違いなくこの世に実在し、今なお世界を包み込んでいる、ということをはっきり主張しようとしたということです。・・・
 ともかく、この頃の篤胤が、まず主張したかったのは、あくまでも宇宙をつかさどる神々の多様性と不可思議な霊異の力であったのです。
 さて、神々の意志や行いは計り知れないとすると、人間はどうやって神のもとで生きればいいのだろうということになりますが、篤胤は、天神地祇や死者の霊を含む鬼神全般に向かって人間ができる唯一のこと、それは「祭祀」だというのです。
 そして、篤胤にとっての祭祀は、基本的に、神が荒ぶったり怒ったり機嫌を損ねないように慰めるものであったようです。つまり、神々に向けて美味しいものをたくさん献上し、人々が親しく集い、歌い舞い、色々と楽しいことのかぎりをなすことであったのです。
 よって、そこには祭祀としての形式や礼式、それゆえの荘厳さ、難しさはいっさい語られていないのです。神というものは幼児のような素直な存在としてイメージされていて、それは、成熟した社会の中での人と人との関係性や規範性、その中で育まれる理性や教養などから最も遠いところにあるものと考えられていたようです。
 とにかく、神とは、善にも悪にも転びうる強い生命力そのもので、善い神であっても、いったん荒ぶれば、誰にも止められないような強烈なエネルギーを発揮するという、社会が成熟発展する以前の原始根源的なイメージが込められているようです。
 なお、天神・地祇とともに鬼神に含まれる死者の霊についても、篤胤は基本的に同じような捉え方をしていて、突然、祟りや幸福という大きな霊威をあらわす存在であり、不可測な両義性をはらむ一方で、大変素直な心情を持っているとしています。・・・
 『新鬼神論』の核心は、<人は神から御霊(みたま)を賜って生まれる存在であって、> それゆえに 〈人は神を祀るべき存在である〉 また 〈人は死ねば肉体を離れ御霊そのもの、すなわち「神」となる〉 それゆえ 〈死後の霊魂は「神」として人に祀られるべき存在である〉というふうに図式化できるのではない<でしょう>か・・・」(筆者不詳だが、吉田麻子『平田篤胤–交響する死者・生者・神々』(2016年)と吉田真樹『平田篤胤–霊魂のゆくえ』(2009年)の要約紹介。)
http://cs2593.blog.fc2.com/blog-entry-287.html
 吉田麻子(あさこ。1972年~)は、佐生大博士。現在学習院女子大、相模女子大、東海大学などで非常勤講師。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784582858198
 吉田真樹(1971年~)は、東大教養学部卒、同大博士。現在静岡県立大准教授。和辻賞受賞。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%9C%9F%E6%A8%B9

⇒篤胤の「神」を、私の言う「結界」の向こう側の存在、と言い換えれば、篤胤は、神道の理論化を私とほぼ同じ形で行った人物である、ということになりそうです。↑↓(太田)

 鬼神は、死者の例も天地の神々をもあわせて指す言葉である。・・・
 篤胤の死者論は、死者が地下の黄泉の国に行ってしまって、この世界と無関係になるのではなく、この世界に死者の霊魂が留まり、生者と関係を持ち続けるという顕明と幽冥の一体性を説いたところに特徴がある(『霊能真柱<(注207)>(たまのみはしら)』)。

 (注207)「著作の完成の直前、文化九(一八一二)年八月に亡くなった妻の面影について語っている。もしも自分が死んだら、その魂は「幽冥」の世界へと赴くことだろう。それは、『古事記』に描かれた黄泉国<よもつくに>のことではなく、人間が生きて活動している「顕世<うつしよ>」のどこにも、たとえば墓の上などに存在しているが、生前の人々には見えない世界だと篤胤は論じている。
 そして死んだあとに、やはり「幽冥」の世界にいる妻を伴って、師の宣長のもとを訪れ、春夏秋冬の景色を楽しもう。貧しい学究生活を助けてくれた妻の「功<いさお>」を追想しながら、篤胤はそう語っている。「幽冥」に関する発想それ自体は、初稿を準備していたころから抱いていたのかもしれないが、それを著作として完成させる情熱を支えたのは、親しい家族の死という悲劇であった。その深い悲しみを乗り越えるための「霊の行方の安定」。篤胤の思想が多くの人々を惹きつけたのは、そうした感情を背後にもった迫力ゆえのことだったかもしれない。」(刈部直「平田篤胤『霊の真柱』より)
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1087
 苅部直(1965年~)は、東大法卒、同大博士。現在東大法学政治学研究科教授。サントリー学芸賞、毎日書評賞受賞。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%85%E9%83%A8%E7%9B%B4

⇒刈部による、この「幽冥」の説明は秀逸ですね。
 刈部は、博士論文が「光の領国――和辻哲郎おける「人間」と「政治」」ですし、『丸山眞男――リベラリストの肖像』(2006年)という本も出しています(上掲)し、ちょっと東大法、「健全化」しつつあるのかもしれない、と思ったり・・。(太田)

 このような霊魂観はその後の平田派で継承され、庶民の感覚に近いものがあったところから、復古神道の民間定着の大きな力となった。
 篤胤の説は、幽冥の世界は大国主が支配するとしていて、皇系の支配する顕明の世界とセットとなる二元論である。
 それゆえ、篤胤の思想は直ちにアマテラス–天皇の一元論に経つ幕末の尊王攘夷論と一致するわけではない。・・・
 幕末近くになると、平田派の神道家たちは一気に尊王攘夷に傾いていく。
 島崎藤村の『夜明け前』に生き生きと描かれているように、その運動は農村の名主階級の心を捉え、維新の草の根的な支持基盤となっていく。」(154~155)

⇒残念ながら、ここは説明不足で、訳が分かりません。
 というか、篤胤の思想がどうして、尊王攘夷/明治維新の原動力の一つになったのか、研究してみる必要がありそうです。(太田)

(続く)